こころの内
本当のこころの内をいったい誰が知ると言うのだろう。
どんなに仲のいい友達でも、
仲良しの家族でも、
彼氏でも、
旦那さんでも、
側にいるペットでも、
本当のこころの内は誰も知らない。
どんなに話そうと、
どんなに説明しようと、
誰も本当のこころの内はわからない。
誰か、
誰が、
誰かは、
本当のこころの内を知っている。
だから、
理解されなくても仕方がない。
理解されなくてもいい。
それって寂しいこと?
まさに、神のみぞ知る。
それでいいじゃないか。
重ねていただけ
昨年末で退職した上司は、上司として適さない人でした。
決して根っこから悪い人ではありません。
おそらく近所の人くらいであればさほど問題なく付き合えるタイプでしょう。
でも、上司としては適していません。
私は人生でこの世から消えて欲しいと思った人が後にも先にもこの人だけです。
それくらい、キライでした。
人を見下し、馬鹿にし、嫌われてもいいと言いながら嫌われるような事は一切しない。しないということは、会社と社員の架け橋になるような立場には適しません。
長く働いてきた中で貢献したこともあるでしょう。言動がひどすぎるがゆえに、褒めてもらいたいのに誰からも認められず歪んでいく。悪循環の繰り返し。
その人から感じること。
いつも人と比べられ続け、良いことをしても親からは褒められず、褒めて欲しくて仕方なかった。いつしか褒められるのは諦め、1人でなんでもこなすようになり、褒めてくれないのなら自分からは手は差し伸べない。
自己表現が下手で、あまのじゃく。
本当は面倒見が良くて、頼れば力になってくれるし、平等に物事を判断する力は持ってる。でも、活かしきれていない。
でも、辞めると聞いた時、辞めるその日涙がポロリ。なぜだろう。
小憎たらしいことばかりいう上司。
ケンカだってした。
なのにポロリ。
そうだ、小憎たらしいのであって憎いわけじゃないんだからだ。嫌な部分と同じくらい良い部分も知っている。
これが愛なのか。
人としての愛なのか、と。
良い部分とそうじゃない部分、両面知っても嫌いになりきれない。なりきれない部分に愛があるのかと感じた。
8年間一緒に仕事をした。
上司との8年間。
私の8年間…色んな事があった。
本当に色んな事があった。
離婚、病気、経済的な不安、新たな病気。
その8年間には不満も沢山あった。
誰にもぶつけようがない、誰にもどうにもならないものが。
私はそのぶつけようがないものを重ねてただけだったかもしれない。行き場のない不平不満を上司を理由に、ネタにして怒って、言いたいこといってスッキリしてたからプライベートは充実してたのだ。
そうやってバランスがとれていたのだろう。
もちろん、上司が文句のひとつもない人であるならまた違ったんでしょうが…。
上司が辞めた時ひとつの時代が終わったように感じたけれど、確かにそうかもしれない。
なぜなら、私は気付いたから。
きっと出逢うように私が決めたこと。
私に気づかせてくれるように頼んでおいたこと。
出逢うべき人とは必ず出逢う。
辛い事があっても前を向いて生きていくために助けてくれたんだ。私の為に。
ありがとう。
感謝です。
読んでいただいたみなさまが、心穏やかな毎日を過ごせますよう祈っております。