大物主神との血縁 | タニハ但馬 時空を超えて旅に出よう

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兵庫県の日本海側の但馬地域を中心に、古代への冒険に出かけませんか?
神代の世界がここにある。豊受大神さまのおられた地。
ヤマト王朝より以前、但馬・丹波・丹後はヤマトの基となる大丹波王国でした。

【大物主神との血縁】
崇神天皇には3人の后がありました。
豊鋤入姫(とよすきいりひめ)の母は、紀国造の荒河刀辨(あらはかとべ)の娘、遠津年魚目目微比賣(とほつあゆめまくはしひめ)。
淳名城入姫命(ぬなきいりひめ)の母は、尾張氏祖先の意富阿麻比賣(おおあまひめ)。
第11代垂仁天皇の母は、8代孝元天皇の第1皇子大毘古(おおびこ)の娘、御眞津比賣(みまつひめ)。
この母系を継ぐ方が、後の祭祀で荒魂を鎮めることが出来るかどうかの命運を辿ります。
神主となる条件として血縁関係が重要とされたことを物語っているかのようです。
崇神天皇が大田田根子命を祭祀とし大物主神を三輪にお祀りしたとき、皇女の豊鋤入姫は、天照大神を倭の国の笠縫邑(かさぬいむら)から次に巡幸されたのは丹波国の吉佐宮(よさのみや)(宮津の元伊勢籠神社・真名井神社)と(福知山の元伊勢皇大神社・元伊勢豊受大神社)へお祀りになったときと同時期かと想われます。
この後、豊鋤入姫後を継いで第11代垂仁天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神をお祀りする御杖代(みつえしろ)となられました。
倭姫の母、日葉酢姫命(ひばすひめ)の故郷の丹波国。日葉酢姫の父は丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)。崇神天皇の命により、朝廷に背くものを平定するために丹波国(但馬・丹後)へ派遣された四道将軍のひとり、日子坐王(ひこいますのきみ・崇神天皇の異母兄弟)の皇子です。
伊勢に天照大神を遷された豊鋤入姫(とよすきいりひめ)と倭姫(やまとひめ)の御巡幸。
大物主神を三輪山にお祀りした大田田根子命(おおたたねこ)、兵庫県朝来市山東町の粟鹿神社に伝わる粟鹿大明神元記には、その子孫が宮司となり書き記した譜系図がありました。
丹波国(但馬・丹後)なくしては継がれない、とても重要なところです。
気になるポイント
・大田田根子命(おおたたねこ)とは、「日本書紀」には大物主神(おおものぬしのかみ)の子とあり、「古事記」では4世孫となっています。「河内の陶津耳(すえつみみ)命の娘の活玉依(いくたまより)姫の元に夜毎に男が通い、妊娠した。夜な夜な現れる男の正体を見極める為に、麻糸を通した針を男の衣にさし、翌朝糸を辿って行くと、三輪山の神の社に留まった。この子が神の子オホタタネ子である。」つまりは三輪山の神、大物主神と活玉依(いくたまより)姫の子、その子孫です。三輪氏・賀茂氏の始祖の伝承もあります。
原文:爾天皇問賜之「汝者誰子也。」答曰「僕者、大物主大神、娶陶津耳命之女・活玉依毘賣、生子、名櫛御方命之子、飯肩巢見命之子、建甕槌命之子、僕意富多多泥古。」
・市磯長尾市(いちしのながおち)
神武東征のとき水先案内を勤め、即位後、大倭国造に任ぜられた椎根津彦(しいねつひこ・倭宿禰)の子孫で、大倭直氏(大和連)の祖。椎根津彦(しいねつひこ・倭宿禰)天火明命の4世孫。天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と同名の天村雲命は、天火明命の孫であり、長尾神社には天村雲命の后が祀られています。しかも但馬の出石神社の宮司は長尾氏です。
三人が同時に同じ夢を見たシンクロニシティ。
・倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかんあさじはらまくわしひめ・倭迹々日百襲姫命)
・大水口宿禰(おおみなくちのすくね)(穂積臣遠祖)
饒速日命(天火明命)六世の孫である出石心大臣命の御子。
・伊勢麻績君(いせのおみのきみ)
「伊勢と云うは、伊賀(近江国)の穴志の社に坐す神、出雲の神の子、出雲建の子の命、 又の名は伊勢都彦の神」天穂日命(あめのほひ)の後裔。天夷鳥命(あめのひなどり)の子。
伊和大神の子。伊和は三輪が転じた伊和大神は葦原志許乎命(大国主神)大物主命。
伊和大神は天日槍と争い領土に名を残しています。