タニハ但馬 時空を超えて旅に出よう

タニハ但馬 時空を超えて旅に出よう

兵庫県の日本海側の但馬地域を中心に、古代への冒険に出かけませんか?
神代の世界がここにある。豊受大神さまのおられた地。
ヤマト王朝より以前、但馬・丹波・丹後はヤマトの基となる大丹波王国でした。

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中学1年の娘が国語で「竹取物語」について感想を発表するというので、私も気になっていたところを深く掘り下げ考えてみました。
 間人の竹野姫からの流れ、そこに繋がっていたことが嬉しくて、実在するかぐや姫、なぜお伽噺になって伝承されたか、帝や貴族からの求婚を頑なにお断りする理由とは。皮肉にも想える内容、帝や貴族を愚弄するシーンもあるのに、どうして今に受け継がれる物語なのか誰が書いたのか。それ以上の存在が想え気になったので。


かぐや姫と豊受媛
 迦具夜比売(かぐやひめ)命、古事記では第11代垂仁天皇の妃。
 出自は、第9代開化天皇が丹波竹野姫(たにはのたかのひめ)を娶り産まれた御子が比古由牟須美(ひこゆむすみ)命。
 その子が大筒木垂根王(おおつつきたりねのきみ)、その子が迦具夜比売。ちなみに大筒木垂根王の兄は讃岐垂根王(さぬきたりねのきみ)竹取の翁=讃岐の造。大筒木も竹を連想させます。
 つまりは、かぐや姫のひいおばあちゃんが竹野(たかの)姫。
 竹野姫の父は、旦波の大縣主「由碁理(ゆごり)」といわれる海部氏と尾張氏の祖、天火明(あめのほあかり)命の7世孫建諸隅(たけもろずみ)命と想われます。
 大丹波王国タニハは鉄や水晶、ガラスを製錬できる王国でした。また建諸隅命は開化天皇に仕えたともあります。
 建諸隅命の妹には大倭久邇阿禮姫命(おおやまとくにあれひめ)が見られます。第7代孝霊天皇の妃で、吉備津彦や倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の母親であります。
 3世紀、大丹波王国タニハはその父を建田勢(たけだせ)命、母を葛木高田(かつらぎたかだ)姫。タニハとヤマトを繋ぐ婚姻。
 浦嶋伝説・天女の羽衣伝説は文献学的に丹後の伝説が日本最古のものであり、単なる作り話やおとぎ話ではなく、隠された消された時の敗者の歴史が伝説となっています。
 浦嶋伝説のある浦嶋神社(京都府与謝郡伊根町)の由緒には、825年淳和天皇が浦嶋子を筒川大明神として祀りました。相殿神には月読命が祀られ、浦嶋子は日下部首等の祖先にあたり、日下部宿禰同祖は彦坐命之後也とみえるとあり、彦坐命は日子坐王(ひこいますのきみ)すなわち第9代開化天皇の第3皇子。その大祖は月読命の子孫で当地の領主であるとあります。
 豊受大神と豊受媛
 第22代雄略天皇の夢に天照大御神の神託を授かりて丹波國の比治の真名井に鎮座する豊受大神を伊勢神宮外宮に遷宮しました。
 大和政権とタニハとは強い結びつきがありました。
 タニハには、豊受大神をお祀りする神社が多く存在します。
 とても盛んに信仰されていた、豊受大神。
 月の神様ともされています。
 タニハ丹波の語源も、豊受大神が豊饒に実った稲穂をみて「あなにえしたにはよ(なんと素晴らしい田庭よ)」と言われたことがタニハの国の名前です。
 今も月の輪田として大切に稲穂がつくられています。
 豊受媛は天女伝説にもなっています。
 豊受媛とかぐや姫、月の女神の伝説。
 タニハの魂の根源なのでしょう。