映画界には、昔から「オリンをコスる」という言葉があるという。
「仁義なき戦い」の脚本家、笠原和夫さんは、生前、インタビューの中で、「オリンをコスる」について説明してくれています。
「昔、「母もの映画」というヒット路線の映画が多産されていた頃、母と子の別れの場面ではヴァイオリンを掻き鳴らし観客の涙を誘ったものだった。
それで感動的な場面のことを「オリンをコスる」というようになった」
この物語をつくる時に使われる「オリンをコスる」というテクニック、今ではドラマ、映画、小説の中で、当たり前のように使われていますよね。
映画やドラマを宣伝する時にも、「泣かせるラブストーリー」とか、「涙なくして観られない」とか、泣かせることを前提にしたキャッチフレーズを多用しているように感じます。
それは、きっと、それだけ観客、視聴者が心の中で、グッとため込んでいた涙を一気に流したいと願っているからなんでしょうね。
何かのテレビ番組で観たんですが、心理学的にも人間は、涙を流すことが精神的にも良いとされているようなんです。
しかし、あまりにも長い間、「オリンをコスる」、「泣かせのテクニック」を使っていると、だんだんと飽きてくる人たちが出て来る。
「お涙頂戴」という言葉も観客の泣かせのテクニックに飽きたという気持ちが作った言葉ではないでしょうか。
3,11を報道した多くのテレビ番組は、ドキュメンタリーという名を借りて、「お涙頂戴」をやろうとしていました。
観る側もそれに気づき、なるべく「泣かせのテクニック」を使っていない報道番組を選んで観ていた風潮があったような気がしてなりません。
観客、視聴者もオリンをコスるテクニックに完全に気づいているという事なんでしょう。
これは、物語に関わるすべてのライターにとって、切実な問題です。
視聴率を取るために、売れる作品を書くために、オリンをコスらなければいけない。でも、オリンをコスる事に飽きて、お涙頂戴と批判する人もいる。
葛藤は大きくなるばかりです。
これは、今、プロとして活躍する小説家、脚本家、戯曲家なんどを集めて、「泣かせのテクニックとは?」というテーマで、座談会をやってほしいぐらい気になる問題なんです。
今、現在の僕の結論を書いておきたいと思います。
物語の中には、お涙頂戴とは違う、本物の「オリンをコスる」場面、描写が存在するはず。
そもそも泣かせることを目的にするのではなく、作者が伝えたい想いの中に、「オリンをコスる」テクニックも含まれている。
職業作家、専業作家になるためには、意図的にオリンをコスらなければいけない時も出て来ると思う。
しかし、そんな中で、心の想いを伝えるためのテクニックであって、テクニックのためのテクニックではない、という事を忘れずに書き続けて行く事が重要である。
僕は、前に書いた事を心において、これからも本物のオリンをコスるテクニックを勉強して行こうと思います。
この問題は、プロを目指す人だけではなく、映画、ドラマ、小説、漫画などを愛する多くのファンの方々も気になっているのではないでしょうか。
難しい問題でございます。



