新人ライター奮闘記 -38ページ目

新人ライター奮闘記

自分は今、制作会社に企画要因、プロットライターとして参加しています。

ブログには、プロデューサーとの打ち合わせや企画書の書き方についても書いていきたいと思います。


また、「文章の書き方」、「企画の見つけ方」なども書いて行きたいと思います

皆さんは、「ブレスト会議」という言葉を聞いた事あるだろうか?


正確に言うと、「ブレインストーミング会議」、訳して「ブレスト会議」と言うらしいんだけど、一年間プロットライターをやらして頂いていますが、まだ僕も経験ありません。


でも、プロのシナリオライターの方のブログを見てみると、「今日はブレストで疲れた」とか「ブレストでアイディアがバンバン出て楽しかった」とか、書かれているので、なんとなく大事な会議である事が解かります。


という事で、今回は、そのブレスト会議について、語らしてください。


まず、普通のプロデューサーの打ち合わせと、どんなところが違うか?と言うと、一対一ではなく、何人かのプロデューサーやシナリオライター、ディレクターを交えて行われ、集まった人達がアイディアを出し合って行くというのが、普通の打ち合わせと一番違うところみたいです。


まさに、会議するって感覚なわけですね。シナリオライター志望者のために、「ブレスト会議入門」みたいな本は出ていないので(笑)、実際にどんな話しをするのか?どんなふうに会議を進めて行くのかは解かりません。



しかし、前にブログにも書いた、放送作家の方達が書いた、「企画術の教科書」という本に少し載っているので、それを見ながら、勉強して行きたいと思います。


まず重要なポイント、「企画づくりは個人プレーではなく、チームプレーだと理解すること」。これは、とても大事ですよね?チームプレーだという意識がなかったら、何のために会議してるのか解かりませんもんね?(笑


次に大事なのは、メンバーを選ぶこと!!つまり、同じ部署だからとか仲が良いからというだけで、ブレスト会議に加わってもらったとしても、それだけではアイディアが磨かれない可能性があるという事なんですね。

それに、メンバーを集める人が、メンバー達の好み、得意なジャンルがある事をよく理解し、集めて行く事も大事だという事です。


またメンバーを集める時の工夫は、ベテラン、異性、若手など、様々な年齢の人達を集めるように意識する事も大事です。


そして、実際に会議で、アイディアを出して行くわけですが、その時にメンバー全員が共有するべきルールがあります。


1他人の意見は絶対に否定しない。 2聞き手がみな、意見を出した人の協力者という意識を持つ。 3ブレストに「評論家」はいらない


1の他人の意見を絶対に否定しないというのは、みんなでアイディアを出し合っていくうえで、とても大事かもしれない。


僕は映像関係の専門学校を卒業してるんですが、はっきり言って実習中は毎日、喧嘩なんですよ(笑)。いろいろな意見が出て来て、深夜にまでなってしまい、結局、バテバテに疲れちゃって、最終的に最初の意見に戻るみたいな馬鹿な事を繰り返して来た経験があるんです(笑)。


なので、1の他人の意見を否定しないというのは、とてもよく解かる。だいたい喧嘩の原因は、人の意見を馬鹿にしたように否定する事から始まりますからね。


2の協力者であることを意識するというのも大事ですね。個々の意見が宙に浮かないよう、みんなで会話をつないでいく。そうやって場を温めてこそ、ブレスト会議はアイディアの溢れる泉になると書かれています。


ベテランだろうが、新人だろうが、ブレスト会議の時は、みんな平等という事なんですね。


3の「評論家」はいらないというのは、実は僕みたいな映画ファンは耳が痛い。


ついつい人が書いたシナリオを読んだ時に、「直し」じゃなくて、「批評、評論」してしまう時があるんです。


気をつけているつもりでも、ついついテンションが上がっちゃって、「評論家」になっちっちゃう時がある。これは、本当に気をつけたい。


たとえば、「僕は好きじゃない」とか「個人的には、それありがちだと思うけど」とか「パッケージは青より、僕は赤の方が良いなぁ」とか、これは意見じゃなく、自分の好みを言っているだけですよね?


否定的な意見はもちろん、代案もなく、感想しか言わない人が、ブレスト会議にいるのはおかしい。

本来、ブレスト会議の場とは、参加者全員でアイディア、意見を出し合うところ。批判しかする気のない人は当然、いらないのである。と、はっきり書かれています。これは、めちゃくちゃ正しいと思います。僕も気をつけます(笑)


どうでしたでしょうか?ブレスト会議、大変そうだけど、なんか面白そうですよね?僕らも早くブレスト会議に呼んでもらえるように、日々、努力して行きましょう。

たとえば医者は、人の病気を治し、人を元気にする事が出来る。


だから、医者は世の中に必要だ。


それと農業をやる人、俗に言う農民は、食べ物を作るという大きな役割を担っている。


だから、やっぱり農業をやる人、農民は世の中に必要なのだ。


そんな事を考えてみると、ドラマや映画は世の中の何に役立っているのだろうか?


べつに映画やドラマがあったって、病気の人を治すわけじゃないし、野菜や食物を栽培する事が出来ない。


先進国では、娯楽という役割を担っていると思うが、そうじゃない国、つまり発展途上国では、きっと映画監督や脚本家よりも、医者や農業の知識がある人に会いたいと思うだろう。


では、脚本家や映画監督を志す人達は、自分たちがやろうとしている仕事の何に意義を見出したらよいのだろうか?


あるディレクターが娘さんに、「お父さんの仕事は、非生産的です」と言われた事があるらしい(笑)。


確かに、その通りだ。一般的に映画は、娯楽という役割を担っているだけで、多くの観客も、娯楽を要求している。


でも、本当にそれだけなんだろうか?
ある哲学者がこんな事を言った。


「芸術は感情を教育する」


もしかしたら、その「教育」という分野に、映画やドラマの役割があるような気がする。


知識を教えるという意味の教育ではなく、もっと心に関する教育だ。つまり、映画やドラマの人を感化する力の事だ。


映画やドラマが先進国だけではなく、発展途上国でも何か力を発揮するとしたら、それは人を感化する力にあるのかもしれない。


僕がそんなふうに思うのは、やっぱり昔のハリウッド映画やフランス、イタリア映画が好きだからなのかもしれない。


映画やドラマの啓蒙力というものを、信じてみたい。


映画やドラマは、知識と教養は違う事を知っている。
楽しいから、一生懸命やるのではなく、一生懸命やっていると、楽しくなって行くのだ。


by黒澤明。


かっこいい(笑)