映画と貧困の深い関係 | 新人ライター奮闘記

新人ライター奮闘記

自分は今、制作会社に企画要因、プロットライターとして参加しています。

ブログには、プロデューサーとの打ち合わせや企画書の書き方についても書いていきたいと思います。


また、「文章の書き方」、「企画の見つけ方」なども書いて行きたいと思います

映画の歴史を振り返ると、「貧困」をテーマにした作品が多いことに気がつく。




それは、サイレントの時代からそうだった。




映画の父と言われる、D・Wグリフィスは、リリアン・ギッシュという女優を使って、多くの貧困問題を描いて来た。




たとえば、「散りゆく花」や「東への道」、「嵐の孤児」などの作品には、貧困にあえぐ人々が真正面から描かれていたりする。




また、時を得て、グリフィス監督の貧困に対する想いは、チャップリンやジョンフォード監督に受け継がれて行く。




チャップリンなら、「キッド」、「独裁者」、「街の灯」、「犬の生活」、「黄金狂時代」などで、チャップリン自身が放浪者を演じ、時にコミカルに、時に悲惨にお金がないこと、家がないことを描いて見せたのだった。




こんなふうに、映画の歴史には、貧困というテーマにしっかりと向かい合って来たという刻印が刻まれているのだ。




今回、僕がなぜ映画の歴史の中にある、貧困のテーマに興味を持ったか?というと、今、「生活保護」を扱った企画を考えているからなんです。




日本では、憲法二十五条の生活保護法で、生活に困窮するすべての国民に対し、健康で文化的な最低限度の生活を保障している。




しかし、にも関わらず、毎年、自殺者が3万人を超えている状態が続いているのだ。




僕はこの問題に、ずっと疑問を持っていました。




「この状態は健康で文化的な生活を保障している事になっているのか?」、と(笑)




もちろん、自ら命を捨ててしまった人々の中には、簡単には説明できない様々な事情があると思う。




けれど、どんな事情があるにしろ、生活に苦しくなったら、精神的に苦しくなって仕事が出来なくなったりしたら、生活保護を使って、再出発の準備を行えるはずだ。




それが、この国の法律なのだから。




でも、実際は、3万人が自ら命を落としている。




この問題は、僕のようなバカなオッサンには、荷が重い大きな国の大問題なんだと思う。




だが、気になったら、とことんまで知りたくなってしまうのが、ライターの性というものなのだ(笑)




それに、僕のようなフリーライター志望者にとって、、人事じゃない問題です。




はっきり言って、明日は我が身なんですよ(笑)




今後も、この問題は追求して行こうと思う。




という事で、企画書をつくるために、「生活保護」や「貧困」を扱った本や映画をいくつか調べてた。




本を読んで、よく解ったのは、生活保護を受理する側である福祉事務所職員の大変さである。




毎日、毎日、重い問題を扱っていると、確かに気が滅入ってくる。




どうにでもなれ!という気持ちにもなるかもしれない。




本を何冊か読んでみると、まず、その事がよく理解できました。




それが本を読んだ一番の収穫ですね。




だから、この問題は福祉事務所職員と生活困窮者の両方の言い分をしっかり聞くことが大事になってくる




それが出来なければ、作品として偏ったものになってしまうからだ。




作品を描くうえで、つねに多面性が重要だという事だろう。




映画で参考になったのは、この2作品。




「幸せのちから」




「聖者の眠る街」



簡単に紹介すると、どちらの映画も、困窮から這い上がろうとする男を描いている。




この描き方は、前に紹介したチャップリンの描き方と似ていて、継承していると言ってもいい。




何か新しい描き方はないか?それを模索して行きたい。