WORK OR DIE
最低最悪の話。忘備録でもあるし、誰かに伝えるためにも書く。12月の末所属山岳会のトレーニングの時に松山さんからバイトをしないかと誘われた。内容はソーラー、松本にアパートを借りると言っていた。
忘れた頃、年明12〜3日くらいに明日からどうかと連絡があったが急で無理なので17日の月曜日からとお願いした。梶原さんからラインがあって17日6時40分に松本のコンビニ集合の連絡があり、諸々準備して向かった。これが最低の入口だった。
2022元旦の日にー
自分は仕事が好きだった。現役時代バイクやダイビング、ゴルフ等遊びにも全力だったけど仕事が1番だった。東京最後の渋谷の老舗プロダクション時代JRの仕事でこれば自分じゃなくても良いと思った時生活のメインを遊びにシフトした気がする、なにかが切れた。多分それまでの個人でやっていた本気がなくなってたのと自分で開拓したロレアル等外資の仕事が全く評価されなかったこともあったと思う。苦しさには慣れてたけど辛かった。大好きな人も離れてしまい、なにもかもが解らなかった。前をむいて全部片付け引っ越しをした。山が好きだから長野じゃなく逃げて来た。全く知らない場所誰も知らないところから始めた。飛び込んだプロダクションはすぐに首になり、バタバタはどんどん続く。ギリギリの生活の中、山を歩きスノーボードで雪山を滑った。また新しい年が始まる。頂きは見えないが希望には燃えている。やるしかないしね。裏切ったつもりはないんだけどそう思う人が沢山いる。本当に申し訳ない。とりあえずトレーニングしてます。











