ピザとスパゲッティ
20代連れて行ってもらった渋谷区東3丁目カミニートビル多分地下1階。カプリチョーザ、漢字だったと思うが書けない。フランチャイズする前の本店。イカとツナのサラダやライスコロッケ、もちろんピザやスパゲッティ。ここのツナは後にモルジブで買った缶詰がまんま同じ味だった。とんちゃん通りにあったベルテ。ランチはだいたいボンゴレロッソかフンギでビアンコ、トマトソースがすきで別に頼んでいた。かなりあとに表参道と明治通りに店をうつしたが子供と行ったり、小さな代理店の解散式をしたりと思い出がある。広尾にあったファラフェルの店が目黒にうつりピザバンビーノとなりここはかなり通った。バイクでお世話になったマイクさんの店だ。懐かし〜。カレーもかなり思い出があり、神宮前のギーは色々お世話になっている。バイク絡みになるし、この話しはまたにしよう。
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バイトを始める前日の深夜義理の父が他界した。身内のお別れとお通夜、葬式の連絡が来る
。夜に松山さんと梶原さんにメールをして帰る事にした。身体も耐えられないし、なによりも何でこんな環境にいるのかも理解できない。松山さんから社長に連絡するようメールがきた 。全く知らない社長に何で自分が連絡するのか訳が分からない。自分では何にも解決しなくてここで社長か?。何もかも嫌だしもう関わりたく無い。現役時代に頑張り抜いたつもりだが64歳でこんな嫌な思いをしなくても良いんじゃ無いか。知らない社長に断りをいれ、帰路についた。嬉しくて泣きたくなった。山岳会もやめて縁の全てを切ることにした。
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2日目は松山さんの具合が悪く、社員では無いそうだが長く仕事をしている田中さんと二人で現場に向かう。着いたらすぐに二人が来て作業開始。6時45分コンビニ集合、8時頃から開始10時休憩12時昼食3時休憩5時終業で帰り6時過ぎにアパートの土方仕事。実際仕事は嫌では無いがよく分からないことだらけで集中できない。この日はスポーツクラブのシャワーをかりてめちゃ寒いアパートで寝る。TVも無いし、とにかく身体が痛くてなかなか寝れない。電気はストーブの関係で消せなくて最低最悪の環境。マジ辛い。3日目は身体がギシギシしていて作業も辛かった。4人でワンボックスに乗って現場とアパートを往復した。帰路に松山さんと梶原さんが歩いて帰ると言って途中で降りた、孤独だった。一体自分はなにをしているんだろう。
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仕事は体力がかなり必要だが簡単な作業で余程鈍臭くなければ誰でも出来る。高所とインパクトに慣れていればなんてことない。だけど全く知らされてないことを突然やらされるのはしんどい。なんでこんなにコミュケーションがないのか?4時半頃に作業を終わり再び高速を使って6時過ぎに松本戻り、集合したコンビニの裏がアパートだった。駐車場がなく近くの川沿に車を止めさせられていた。汚いアパートの二階に借りた部屋に行き、ここで初めて一人でいることを知った、てっきり松山さんと相部屋かと思っていたが一階に松山さんと梶原さんの部屋があって同棲中だった!びっくりした。電気はなんとかついたが消せないライトで寝るときもつきっぱなし、ガスはガス会社の人が来て開ける作業をしてたが契約者がわからないし松山さんもなんか分からない感じで自分もサインしたくないので又にしてもらった。この時は水道もでなかった。ガラスがわれて汚いガムテープがはってある。こんなとこで生活出来ないと松山さんに言って小さなホテルを借りて欲しいと頼む。車を梶原さんのスペースに移動してやむを得ず持参したストーブと寝袋ですごした。夜中は1℃になりストーブはつけっぱなし。寝袋では寒すぎて身体中がきしんでいた。なんでこんな環境にいるんだろうか?生まれてから一番最低な環境だった。
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17日6時にコンビニ、45分にカジヒロさんの車で現場に向かう、何処に行くかも知らないし、仕事内容も全く分からないまま須玉まで移動して、ユニックや工具を、借りて初めの現場へ、ここで何となく仕事が分かってきた。農地や使って無い土地にソーラーを建てる仕事だ。ここでは材料を下ろして、次の現場に移動。山間の荒れた場所には途中までの仕事がしてあった。






