「創造の写真劇」- 日本語版 47 ゼデキヤ王は盲目にされる | 日本におけるJWの歴史を考察するサイト

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ゼデキヤ王は盲目にされる

 

 

 神はダビデに対して、メシアの王国は彼の子孫から出ると約束された。数世紀の間、エルサレムを治めたのはダビデの子孫しかいなかった。最後の王はゼデキヤであった。神はご自分の預言者を通してこのように語られた。「そして,致命的な傷を負ったイスラエルの邪悪な長よ,その日が終わりのとがの時に来たあなたについて,主権者なる主エホバはこのように言われた。『ターバンを取り除き,冠を取り外せ。これは同じではなくなるであろう。低いものを高くし,高い者を低くせよ。わたしはそれを破滅,破滅,破滅とする。これについてもまた,それは法的権利を持つ者が来るまで,決して[だれのものにも]ならない。わたしはその者に[これを]必ず与える』」 (エゼキエル21:25-27) これは、メシアが来るまで、ダビデの家系からもはや王が出ないことの別の言い方である。その時から今まで、2519年という長い期間をかけて成就してきた。後のすべての王たちは属国の王でありダビデの家系からは誰も出ていないのである。

 

 神がゼデキヤから彼の王国を取り上げた時、神は預言者の一人を通して、彼はネブカドネザルによって囚人としてバビロンに連れていかれるであろうと述べた。そして別の預言者は、彼はバビロンを決して見ないであろうと言った。どちらの預言もその通りになった。ネブカドネザルは彼の目をくりぬいて囚人とし、その状態でバビロンに連れていったのである。

 

 しかし、神がダビデに述べた、「あなたの子孫の1人を、王座に永遠につける」という約束は破られてはいなかった。ゼデキヤに対する神の言葉は、主は人間の王座を認めることをやめて、メシアの王国の時までそのままにされるということを意味している。

 

 しかし、イエスが最初に到来された時にはこの預言は成就しなかった。イエスはメシアであったが、まだ彼の王としての職務についていなかったからである。イエスはまず祭司として仕えることから始められた。彼は自分自身を犠牲として捧げたのである。その捧げものは19世紀もの間続いてきた。ペンテコステ以来、彼の体となる者たちが体を生きた犠牲として差し出すことを受けれて、それを犠牲として捧げている。(ローマ12:1)それら共同の犠牲者は、イスラエルと全世界を祝福するために、キリストの体の肢体として、1000年のメシアの支配に共にあずかることが約束されている。- 啓示 20:6

 

 

ああ、邪悪な王よ

 

 

ゼデキアは捕まる

 

 

あなたの言葉は真実です

 

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「その時から今まで、2519年という長い期間をかけて成就してきた」

 

この2519年とは、西暦前606年に(当時の見解)エルサレムが滅んでから、この本が書かれた頃であろう西暦1913年までということでしょうか。

 

ラッセル式に言えば、606+1913でちょうど2519年になります。

 

実際には紀元0年はないので、すこし違いますけどね。