「創造の写真劇」- 日本語版 46 エリヤとバアルの祭司たち | 日本におけるJWの歴史を考察するサイト

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エリヤとバアルの祭司たち

 

 

 イスラエルの王アハブは、王女イゼベルに惑わされて、神の予表的な王国において堕落した宗教へと進んでいった。神殿での定められた崇拝を無視し、偶像崇拝を始めたのである。忠実な預言者であるエリヤはアハブを戒めたが、邪悪な女王イゼベルによって荒野へと逃げることを余儀なくされた。エリヤはそこで、渡りガラスによって3年半の間養われた。

 

 しかしついに、神の指示によってエリヤは再び現れ、バアルの祭司たちに対して、エホバとバアルのどちらが祈りに答えることが出来るかを民の前で明らかにしてみようと挑戦した。どちらの神だとしても、天から火を降らせて犠牲を焼き尽くすことが出来れば、それが真の神であるとされるべきである。イスラエル人にはそれは公平な提案だと思えたし、バアルの祭司はそれを断ることが出来なかった。エリヤはバアルの祭司たちに最初にやらせた。彼らは一日中悶えながら石で自分の体を刻み、バアルの神に、捧げ物を受け入れて立証してもらおうと叫んだ。エリヤは彼らを嘲笑って言った。「もう少し大きく叫べ。バアルは眠っているかもしれない。あるいは旅に出てしまったのだ!」

 

 夕方が来て、エリヤの時がやってきた。まず始めに、水を持ってきて、祭壇と犠牲の上に注ぎ出した。間違いは許されなかった。火を隠しているのではないかと誰にも思わせないためである。それからエリヤは、力を立証してもらうように神に祈った。すると天から火が降ってきて、犠牲を焼き尽くした。地面の溝に入っていた水まで舐め尽くしたのである。それを見て人々は、大声でこう叫んだ。「エホバ、あなたこそ神です!」 - 列王第一 18:30-39

 

 聖書研究者たちは、エリヤは「真の教会」を表しており、女王イゼベルは偽りの宗教体制を、そしてアハブは地上の政府たちを表していると考えている。イゼベルが迫害していた期間、エリヤが荒野に隠れていた1,260日の間、雨が降らなかった。これは、対型的なイゼベルの迫害して死に至らせる力がなくなった時まで、1,260年に及ぶ霊的な干ばつ(西暦538年〜 西暦1798年)を表していた。 - 啓示 12:6,14、13:5

 

 エリヤの後継者であるエリシャはシュネム人の息子を復活させた。

 

 

エリヤは渡りがらすに養われた

 

 

 

エリヤの犠牲は受け入れられた

 

 

エリヤの火の兵車

 

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ラッセルは、エリヤが荒野にいた間の1,260年日の干ばつは、1,260年に及ぶ霊的な飢きんを表していると考えました。それは西暦538年に始まり、西暦1798年に終わりました。この年代は、ラッセルが再臨派(アドベンティスト)の影響を強く受けていたことを明らかにしています。現在でも、アドベンティストの主流であるSDA(セブンスデー・アドベンチスト)の公式教理で、538年から1798年までをローマ・カトリックの全盛時代、あるいは暗黒時代と述べています。

 

西暦538年に、皇帝ユスティニアヌスはローマ教皇のすべての教会に対する絶対的な権力を認め、教皇の敵対勢力であるアリウス派の東ゴート王国を攻め、ローマの包囲を解かせ追放しました。それから1260年後の1798年、ナポレオンの将軍ベルティエが軍隊を率いてローマ教皇庁攻め入り、ローマ教皇ピウス6世を幽閉しました。これによって暗黒時代は終わったとされています。

 

1,260日、もしくは3年半という期間は、聖書の中に何度も出てきています。エリヤが荒野で渡りがらすに養われていたのは、干ばつのあった3年半の間です。また、啓示11章3節に出てくる二人の証人は1,260日のあいだ預言すると述べられています。彼らは野獣に殺られますが、三日半の後、それら2人の証人は生き返ります。啓示12章6節と14節には、女は荒野に逃げて1260日の間養われること、その期間が一時と二時と半時、つまり三時半であると書かれています。また、ダニエル7章25節にある、至高者に逆らう者たちの手に渡される期間は「一時と二時と半時の間」です。

 

エホバの証人もこの1,260日を説明してきました。

 

 

□検分と清めの業の期間として

 

この検分と清めの業はどれほどの期間続いたでしょうか。1914年から1919年の初めごろまでです。この期間には,啓示 11章で言及されている1,260日(42か月)と象徴的な3日半の両方が含まれます。


エホバが,この霊的な精錬の業を取り決め,りっぱな業のために特別な民を清めてくださったのは,何と喜ばしいことでしょう。(テト 2:14)また,試練の時期に指導の任に当たって,象徴的な2人の証人として奉仕した忠実な油そそがれた者たちの手本に,本当に感謝できます。


(ものみの塔2014年11月15日号 30ページ)

 

 

□霊的な養育期間として

 

 啓示 12章6,14節によると,神の「女」は,神が彼女のために荒野に備えてくださった場所に「千二百六十日の間」,または「一時と二時と半時」つまり三時半いることになっていました。 

 

 ですから,「へびの顔から離れ」,象徴的な荒野で特別に養われるこの期間は,1919年4月13/14日の過ぎ越しの時に始まり,ユダヤ暦の新年(ローシュ  ハシャナー)から十三日目に当たる1922年10月4/5日に終わったわけです。この期間は本当に霊的な養育の時でした。

 

 「女」を養うこの時期の初めに,国際聖書研究者協会は,アメリカ,オハイオ州における第一回シーダーポイント大会を開きました。1919年9月1-8日にわたるこの大会で,新しい雑誌「黄金時代」の出版計画が9月5日,金曜日に発表されました。翌月,1919年10月1日,「ものみの塔」誌に加えて,雑誌「黄金時代」(今日「目ざめよ!」誌として知られている)の出版が始まりました。1919年10月1日号の「ものみの塔」誌は,その時の国際大会に関し9ページにわたる報告を掲載しました。また,ある国々では,ものみの塔聖書冊子協会の全部の出版物または種々の文書に対する禁止処分が解かれ始めました。

 

 やがて,三「時」半つまり1,260日の終わりごろ,壮大な最高潮が訪れました。それは,1922年9月5-13日の間,国際聖書研究者協会がオハイオ州シーダーポイントで開いた,第二回国際大会という形で訪れました。(1922年11月1日号の「ものみの塔」誌は,エホバの油そそがれた残りの者によるこの際立った大会の報告に全部の紙面を割いています。)それから間もなく,すなわち1922年9月22日に,その年のユダヤ太陰年は終わりました。次いで,ティシュリ13日,1922年の10月4/5日が来ました。それは,同年におけるユダヤの「仮庵の祭り」の少し前に当たり,荒野の状態にある神の「女」を特別に養う期間の終わりを表示するものでした。この時までには,地上にいる彼女の胤の油そそがれた残りの者は十分に養われており,前途の神の業のために霊的に強められていました。そのわずか26日後(1922年10月31日),彼らは,シーダーポイント大会における「挑戦」と題する決議を,全世界で4,500万部配布する業を開始しました。

 

(その時、神の秘儀は終了する 1976年 345-348ページ)
 

 

□七つの時の算出のため

 

その七つの時とは,どれほどの長さでしょうか。啓示 11章2,3節と12章6,14節によると,三時半は1,260日です。そうすると,七つの時はその倍,つまり2,520日になるはずです。それだけなのでしょうか。いいえ,そうではありません。エホバは,ダニエルと同時代の預言者エゼキエルにこの種の象徴を解釈するための通則を与え,「わたしはあなたに一年に対して一日,一年に対して一日を与えた」と言われました。(エゼキエル 4:6)したがって,七つの時は,実際には2,520年の期間になります。西暦前607年を起点とし,長さを2,520年とすると,その定められた時は1914年に終わる,と結論できます。

 

(ものみの塔2004年2月1日 20ページ)

 

 

現在のエホバの証人から見ると、この件に関するラッセルの年代計算は間違っており、とくにアドベンティストから取ってきた1,260年の期間の年代計算は、一笑に付す程度のものだと考えるでしょう。しかし客観的にみると、エホバの証人の年代計算も非常によく似ており、なぜそちらの方は正確で信頼に値すると言えるのか、合理的な説明は出来ません。