「創造の写真劇」- 日本語版 45 主の神殿 | 日本におけるJWの歴史を考察するサイト

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主の神殿

 

 

 幕屋は、神がイスラエル人と一時的に共に住んでいることを表している、ということを見てきたが、後に、神殿がその幕屋に取って代わることになった。

 

 ダビデ王は、すでに見てきたように、今日の福音時代のキリストを表していた。彼は神殿のために材料を集めたが、建てることは許されなかった。このことから、神の取り決めが完成するのは、肉体を着けたキリストによってではなく、ソロモンによって表されてた栄光を受けたキリストによって成し遂げられるということが学べるのである。

 

 ソロモンの神殿は西暦前606年に滅ぼされた。しかし、後にユダヤ人ではないがエサウの子孫であったヘロデ王は、ユダヤ人に好意を示して、イエスの時代の壮大な建築物となった素晴らしい神殿を建てた。

 

 こうした神殿は、聖パウロと聖ペテロが語った、より偉大な神殿である「教会」を予表していたに過ぎなかった。「神の神殿は聖なるものだからです。あなた方はその[神殿]なのである」と述べている。「彼と結びあってあなた方も共に築き上げられ,神が霊によって住まれる所となってゆく」のである。聖ペテロは、全ての神の忠実な聖人たちが忠実な君たち、神の神殿の生ける石となると語った。それを通して、最終的に全ての世は、神に近づくことができるのである。

 

 ソロモンの神殿の石は、石切場で形を作られて神殿建設の現場に運ばれてきた。同様に、柱もあらかじめ準備されていた。働き人たちは、「ハンマーの音もなく」それらを組み立てた。すべての部材は完全にぴったり作られていたので、力はいらなかったのである。

 

 これは、対型的な神殿の建設を予表していた。今の命にある、「教会」となる者たちの準備と、神の霊的な神殿として、復活の力によって少しずつ進められた建設である。これは、すべてのクリスチャンたちが試みられ、清められ、磨かれることを意味している。復活による変化によって、これらの生ける石たちは強制的な力によらずに、共に組み合わされる。そして、主の栄光は真の神殿を満たし、新しい統治が始まるのである。

 

 

ソロモンの犠牲

 

 

ヘロデの神殿

 

 

 

神殿は聖別(献納)される

 

 

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この当時は、エルサレムの滅びは西暦前606年とされていましたね。

 

啓示の書という出版物ではこのように説明されていました。


これは神意によることでしたが,当時の聖書研究者たちは,「紀元前」と「紀元」の年代の間に0年という年がないことを理解していませんでした。後に,研究が行なわれて,紀元前606年を紀元前607年に訂正することが必要になった時,0年も除かれたので,予言は「紀元1914年」の年にも有効でした。―エホバの証人が1943年に発行した,「真理はあなたを自由にする」(英文)と題する本の239ページをご覧ください。

(「啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!」 第18章 105ページ)

 

この、「研究が行なわれて,紀元前606年を紀元前607年に訂正することが必要になった時」に、いったい何があったのかが気になります。訂正を迫られた理由はどこにあったのでしょうか...。