「創造の写真劇」- 日本語版 44 栄光を極めたソロモン | 日本におけるJWの歴史を考察するサイト

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栄光を極めたソロモン

 

 

 神の心にかない忠実であったダビデ王は、地上で試みや苦しみにあいながら勝利を収めたキリストを予表し、ソロモン王は栄光を受けた教会を予表していた。ダビデ王の治世は戦いに次ぐ戦いだったが、ソロモン王の治世ではまったく戦いがなかった。彼は平和の君であるだけではなく、賢く裕福であり、エホバの神殿を建てた王である。

 

 ソロモン王の名声は国外の文明世界へと広がっていった。シバの女王は自らソロモンに会いに来て、彼についてはその半分も語られていなかったと明言した。イエスはこのシバの女王の訪問に言及し、彼女ははるか遠いところからソロモンの知恵を聞きにやってきたと述べた。それゆえ、彼女はソロモンよりも偉大である優れた知恵の教え手を無視した、パレスチナの人々を恥じ入らせたのである。

 

 明らかに、我々の価値評価は、目に大きく依存している。それで、真に霊的な事柄を認識できるようにするために、我々の理解の目は、きちんと開いていなければならない。それゆえ、イエスは追随者たちにこう言われたのである。「あなた方の目は見るゆえに,またあなた方の耳は聞くゆえに幸いである」。 - マタイ 13:16

 

 過去において、我々は数多くの矛盾をすでに見て来た。もはやカンタベリーのローマ・カトリック大司教は ジョン・オールドカースル卿を、聖公会の違いを理由として火刑に処することは出来ない。カトリックもプロテスタントも、我々の目は開かれ、また開き続けているのである。我々にとって明らかに必要なことは、理解の目をはっきりと開いて、神の愛の長さと幅、そして高さと深さを見ることである。今日において、神はただ少数の級の者たちの目を開かせることを喜びとされる。すなわち、罪から離れて、イエスの足跡に従うために聖別された者たちである。彼らの目は開かれ、麗しい王を見るであろう。たとえ信仰の目であっても、神の言葉の望遠鏡を通して見るのである。「主の栄光を鏡に映すように見つつ」、イエスの追随者たちは、「栄光から栄光へと,同じ姿に変えられてゆく」のである。

 

 

ダビデはソロモンを任命する

 

 

神殿の木材を引いてゆく

 

 

ソロモンとシバの女王

 

 

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今回の章にはジョン・オールドカースル卿という名前が出てきますが、私は初めて聞く名前でした。調べてみますと、JWの出版物でも「聖書の擁護者」として非常に好意的に扱われているジョン・ウィクリフの時代、14世紀後半までさかのぼります。そのジョン・ウィクリフは宗教改革の先駆者とされる人物で、聖職者でもあり、オックスフォード大学の教授でもありました。ローマ・カトリックの公認聖書であったラテン語のウルガタ訳聖書を英訳聖書にして一般の人々が読めるようにしたという偉業があります。ローマ・カトリックに強く反対していましたが、やがて捕まり処刑されます。

 

そのウィクリフの意志を継いだのがロラード派と言われる人々で、ローマ・カトリックの不正や腐敗を糾弾します。そのロラード派に名を連ねていたのが、ジョン・オールドカースル卿でした。当時ロラード派といえば異端であり、1401年に成立した「異端火刑法」によれば、聖書を所有したり翻訳したりすることを禁じ、これを違えた異端者は火刑に処されました。カンタベリーの大司教トマス・アランデルは特にロラード派に反対したことで知られています。

 

当時のイギリス王、ヘンリー5世と親友だったジョン・オールドカースル卿は、ロラード派であると発覚すると裁判にかけられて投獄されます。しかし彼はロンドン塔から脱獄し、反乱軍を組織した上、王の誘拐まで試みました。しかし反乱は鎮圧されて、逃亡していたオールドカースル卿はやがて捕らえられて火刑によって処刑されました。

 

ラッセルはこの対立のことを述べていました。カンタベリーの大司教と言えば、まさに世界は自分の手の中にあると考えていたほどの権力を持っていました。その権力を守るためには何でもやって来ましたが、やがて、ロラード派もプロテスタントに吸収され、ルターやカルバンなどによってカトリックも止められない大きな流れになっていきました。