今回は動画で拾える情報に関してちょっと私見を述べていきたいと思います。
いや、なんか最近Twitterで武術関連の人の呟きや投稿を見ていると、技や型の動画を挙げた人に対して何故か上から目線で「○○が出来ていない」「もっとこうすべき」みたいなコメントがやたらつくんですよね。
しかもちゃんと武術をやった事がある人とかではなく、漫画や動画で知識を付けただけの様な人達ほどそういったコメントを入れるという謎事態です。
なんというか、他人の動きを批判するという簡単な事に飛びついて過剰に自分を大きく見せたがる人が増えているというのは、案外過去の記事にも書いたような世間一般にかかる負の圧力みたいなものが本当にあるのかもしれないです。
まあ、マウント取り的な批判コメントが出てしまう背景にはその人自身の精神的な軋轢等もあるかもしれないので深くは突っ込みませんが、正直な話、仮に自分を大きく見せたい願望が根底にあるにせよ、安易な批判は非常に悪手だなと思う所です。
動画だけ見ての安易な批判が悪手だと思う理由が今回のテーマである「動画で拾える情報」にあるのです。
まずこれは恐らく誰しも勘違いを起こしやすい事だと思うのですが、動画の情報量は現実よりは遥かに少ないです。
過去の記事で動画の情報量の大きさについて語りもしましたが、それはあくまで情報を伝達するための媒体で比べた時に相対的に大きくなるという事であって、現実にその場にで見聞き、体験する情報量には遠く及ばないのです。
しかし、この情報量の差は結構意識しておかないと気付きにくい事でもあると思います。
それは人が情報の認識の大部分を視覚に頼る動物だからです。
人が外界を認識する時の視覚情報の割合は実に8割を超えます。
仮にそれこそ武術的な体験をしたのであれば、視覚だけでなく触覚、聴覚、嗅覚等も使いますし、実際に身体を動かしたときの重心の移動や運動神経のフィードバック等様々な情報を受け取っています。
ところが先程述べたように人の認識においては視覚が非常に優位であるために、その他の感覚が覆い隠されてしまうというか、気付けないという事が起こりやすいのです。
そして、その視覚情報すら、画角に映るものを一度に全て理解するのは難しいものです。
この辺りは、映画を何度も見直してもその度に新しい発見があるのと近いと言えば分かり易いでしょうか。
つまり、ただでさえ動画という物は情報量が少ない上にそこから人が取り出せる情報もそれほどは多くないのです。
この認識があると易々と動画だけを見て批判する事の浅はかさが分かってきます。
ちょっと長くなりましたので今回はここで一区切りします。
次回は具体例も交えて動画で拾える情報と体験して得られる情報の違いを更に詳しく説明いたします。
