前回の記事の通り先日和風ゲームから和風ゲームへ切り替えを行なった私ですが、今回はそれで色々とインスピレーションが働いたので、久方ぶりに二次創作的な思考で抽象化の訓練の記事を書こうと思います。
まずは作品を知らない事には分かりにくいと思いますので作品紹介をしましょう。
Ghost of Tsushimaに関しては過去記事を参考にして頂きましょう。
という事で隻狼の紹介をしていきましょう。
時は戦国。
雪深い峠を越えた先に、葦名の国はある。
「剣聖」葦名一心が、わずか一代で国盗りをして興した、
北国の雄である。
だが、その葦名は存亡の危機にあった。
一心の孫である、葦名の将は、窮状を憂い、自らの手勢に密かに告げた。
「もはや、寄せ手から葦名を守るための、尋常の術は無い」
「今こそ、あの御子が必要だ」
かくて御子は、囚われとなる。
御子というが、その身は天涯孤独、
家族も家臣も、なにもない。
ただ一人の忍びを除いては・・・。
これは寄る辺なき、孤独な主従の物語である。
主人公は「狼」葦名一心の国盗りの戦において孤児となった少年が、一心の盟友たる「梟」に拾われ、忍びとして育てられた存在です。
忍びの掟として主たる竜胤の御子たる九郎を護るという使命を帯びています。
過去の記事の仁や豊久の説明よりだいぶシンプルになりますが、ある意味それこそがこの「狼」の特徴とも言えます。
いつも寡黙で仏頂面、感情を表に出す事は無いものの、強い意志と優しい心を持っている事は端々から垣間見えます。
しかし、キャラメイクが無い分他のフロムソフトウェアのファンタジーゲームと比べると人物像が固定されているとはいえ、どの様にロールプレイするかはプレイヤーに委ねられ、慈悲深くも冷酷にもなり得るという点は他のフロムゲーと変わりません。
余談ですが、他に挙げられるフロムソフトウェアのファンタジーゲームの特徴として、世界観の中心となる国や都市、はたまた世界そのものの隆盛は既に過去もの物として描かれ、プレイ出来るのはその滅亡の時という共通点があります。
これは意外と特徴的かなと感じる所がありまして、例えば今回抽象化をしようとするもう一つの和風ゲームGhost of Tsushimaでは、蒙古を打ち払った後残党は残るものの再び對馬が繁栄を取り戻す軌道には乗る事が出来ます。
しかし、フロムソフトウェアのファンタジーにおいては基本的に滅びゆくものはそのまま滅ぶんですよね。
ダークソウルなんかその典型例で世界を滅びから遠ざけるエンディングがあるように見えて実際には延命でしかなく、後に滅びるか今主人公の手で終わらせるかしか無いんですね。
話が逸れたついでにこのまま抽象化出来る要素の話を始めると物凄く長くなりそうなので、今回は、あとは比較する二作品の相違点を挙げて締めようと思います。
相違点を見出す事も分析の一種であり、結果として抽象化に役立ちますからね。
まず、一点目としては今挙げた未来に再興があるか滅びがあるかという事は、かなり大きな視点で見た時の違いとなりますね。
逆に言えばここに着目しなければ、両者はゲーム会社やシステムというハード面での絶対的な違いを除けばかなり似通ったものだと認識されると思うのです。
また、これは抽象化ではなくクロスオーバーに関して非常に困る所なのですが、時代の違いが大きいですね。
隻狼の時代設定は公式サイトによると1500年代後半、Ghost of Tsushimaは元寇がモチーフなので1200年代、実に300年近い隔たりがあります。
時代的な重ね合わせを考えるなら以前Ghost of Tsushimaとのクロスオーバーを考えたドリフターズの島津豊久の時代のほうが近いんですね。
本来ここまで年代が離れてしまうと、同じ日本でもだいぶ文化が変わってしまうので同じように見えないものですが、Ghost of Tsushimaは、時代考証と時代劇としての演出を適度に両立させているため、案外見た目上の違和感は無いというのが救いでしょうか。
最後に大きな違いとしては主人公か侍か忍びというところでしょうか。
主君に仕え、自らは影に徹する忍びと、民草の上に立ち、光を与えるべき侍。
この違いがあるはずなのにそう違って感じない所にもある意味この二作品を並べてみる意義があります。
と、いうわけで、次回はこの二作品のどこが共通するかを見つけ出し、新たな楽しみ方を皆様に提示したいと思います。
お楽しみに!
