今回は視界が開けた時の感覚の違いについてお話していこうと思います。 

 

 「視界が開けた」だけだと分かりにくいのでもう少し詳しく説明しますと、何か悟りの様な物を得たり、ずっと謎だった事に対して大きな気付きがあった時に、まさしく景色が変わるというか、それまでとは別の次元に居るような感覚になる事がある、という事です。 

 

この感覚というのは本当に不思議で、その視点の変化が起きた時に初めて「それまで自分が低い所にいた」という事が分かるんですね。 

 

 この視界が開けた感覚、私の経験としてはかなり衝撃が大きいんですが、皆さんに伝わるでしょうか? 

 

 剣道をやっている人なら、気付かぬうちに視界が面を付けている時くらいの狭さになっていたのが急に元に戻るという風にイメージして頂ければ良いかなと思います。 

 

 そうでない場合の説明としては、ちょっと人ではないですがこの動画を見てください。 

 

 

 この馬はブリンカーと呼ばれる視界を狭める補助器具を付けて、周りに注意が逸らされないようにしていたのですが、それを外した途端この驚き様です。 

 

 流石に物理的にここまで腰を抜かさないまでも、視界が開けた感覚があった時の衝撃はこれくらいあるように感じます。 

 

 因みに、この視界の変化にも幾つか種類があります。 

 

 大きく分けると二種類、「悪い状態から戻る」事によって起こる視界の変化と「良い状態に進む」事によって起こる変化です。 

 

 実はどちらも過去の記事では触れていて、前者はどん底に落ちていた時の記事で書いていますし、後者は新しいオーケストラに乗る覚悟を決めた時の記事がそれにあたります。 

 

 

 

 どちらも衝撃は同じように感じるものの、成長という観点においては出来れば後者が望ましいと思います。 

 

 まず「悪い状態から戻る」に関して、これは本来能力があったのに気付けないほど少しづつ弱体化しているという事で、残念ながらこれは現代社会においては本当に起こりやすい事だと思います。 

 

 この弱体化に気付けるのは、それを打ち消す何らかのリフレッシュがあったときなのですが、そもそも自分自身が弱っていっている事その物に気付けない事が多いのです。 

 

 悪くすると、それがデフォルトだと信じきったまま先細っていきかねません。 

 

 これに関しての対策は、自分を観察する癖をつけ、可能ならそれを記録しておく事です。 

 

 ネガティブな事を記録していくと、それに流されてより悪くなる事もあるのですが、逆にそこで「日に感じた悪い変化の数」や、「休日のアクティブさ」等の基準を設けて下回ったら強制的にリフレッシュ行動をとるという風にしてみましょう。 

 

 もしくは、良い事を書き出す形式にして、書き出す数が減ったらリフレッシュするとしても良いです。 

 

 大事なのは自分自身の日々の僅かな変化に気付く事です。 

 

 そうやって、まずネガティブな変化を抑える様にしたら次はポジティブな変化に向けての準備です。 

 

 これはとりもなおさずゴール設定ですね。 

 

 覚悟で上がったパフォーマンスの記事にははっきりと書いていませんでしたが、上がったパフォーマンスを活かせたのはゴール設定がはっきりしていた分野だけです。 

 

 オーケストラでのパフォーマンスを考えてコントラバスの奏法に繋がる身体操作という事で、同じく高度な身体操作を求める空手に関しても得る事はありましたし、ある意味短期的に一番やりたくなっていてゴールがはっきりしていたために、一番目に見える形でウマ娘のゴールが一番早く達成されたんですね。 

 

 逆に言うと、パフォーマンスが上がっていても、ゴール設定をしていなかった部屋の片づけや、現時点の本職に関しては一切効果が出ていません。 

 

 何かゴールを持っているからこそ、人は先に進むのです。 

 

 視界が開けるという感覚は、大きな衝撃ではあるものの、その感覚が持続するものではありません。 

 

 しかし、先に上げた要因のどちらであったとしても、その瞬間を見れば前進している良い現象なので、可能なら何度も起きる様にした方が良いのです。 

 

 自分を観察してマイナスを起こさないようにして、ゴール設定で前に進む。 

 

 こういった生き方を目指しましょう。