さて、前回の記事では「曇りなき眼で見る」事の難しさを書きましたが、今回は負の感情に流されないようにするのに役立つ考え方を一つ提案してみようと思います。 

 

 

 その方法は、負の感情が湧きそうな事象と距離を取り、好奇心で観察するという事です。 

 

 因みに、負の感情から身を護るだけならとにかくその事象から距離を置くだけで大丈夫です。 

 

 その辺りは以前書いた記事の「めんどくさがる気持ち」みたいな感覚で良いですが、前回の記事に書いたように、嫌だなと思う事の中にひょっとしたら有用な情報もあるかもしれないですし、完全に遮断する前に少し離れた段階で一度観察して見るのはありだと思います。 

 

 

 これに関して空手というか、武術全般に少しあるあるな話を例に挙げていきたいと思います。 

 

 そのあるあるな話というのは武術の正伝はどこか、というような論争です。 

 

 師の教えを大切にしていればこそ、自分の流派が正しく受け継いでいるという気負いは生まれてしまうのはある程度仕方ない事かと思われます。 

 

 また更に多いのはまだ修行中の身である人が他流批判を行なってしまう事です。 

 

 今自分が行なっている事を他流は行なっていないから間違っている、という様な視点を持ってしまうのです。 

 

 これはある種、視点が近すぎて自分が持っている物と相手が持っている物が違って見えるという事なのだと思います。 

 

 結構前に同じ名前だが違う動きに見える型に関する記事を書いたと思いますが、そこでいうと、互いに「うちの型が正しい、あれは間違いだ」と言い合う様な事です。 

 

 

 実際この記事で紹介した動画に登場したそれぞれの流派の先生方は興味深そうにしていましたね。 

 

 正しく自分の流派と技術に誇りを持つ人というのは、確固たる自信があるので自然と相手に敬意と今後に向けての向上心から来る好奇心を持てるという事ですね。 

 

 先程の動画に出てくる先生方の様な確固たる技術と自信を持つには長い道のりが必要ですが、それが無くてもすぐできる事が好奇心を持つ事です。 

 

 「私たちはこういった理合いで技術を解釈しているのに、あの流派はそこを理解せずに違う事をやっている」と考えると悪い感情に流されて否定したくなりますが、それは近い視点で見ているから違って見えるだけなんですね。 

 

 因みに私は以前の記事で自分が習った型を引き合いに出して共通項を探っていましたが、これは逆に他流であるからこそ、両者の型と自然に距離があったという事に気付きました。 

 

 最初に述べた距離を置くという事が立場上自然に出来ていたのです。 

 

 その上で「何故違うのだろう?」という事に好奇心が持てたからこそ抽象化が進み、元が同じ動作で流派ごとの重視するものが違うから変化が生まれたのだという風に感じたのです。 

 

 自分の持っている意見や信条と対立したように感じた物事は、どうしても否定されたような感覚から負の感情に繋がってしまいやすいです。 

 

 それは自分の基準の中で対象を眺めてしまうという事で、「自分ならこうするのになぜしない?」という感覚が何か敵意等があるという様な邪推に繋がってしまっているのです。 

 

 まずは自分と対象の距離を離してから眺める事で自然と高い視座から見下ろして考える事が出来ます。 

  

 自分と対立して見えるものも、高い視点から見下ろしてみると、納得できる理由が見えてくるはずです。 

 

 自分と対象、自分と感情を切り離すために高く遠い視座を持つこれが大事です。 

 

 そのためにはやはり好奇心が一番です。 

 

 好奇心を大切にしましょう。