「曇りなき眼(まなこ)で見て、決める」これはもののけ姫でアシタカが述べた言葉です。
自らが受けた呪いの根源を追い、元は土地を護る主であったナゴの守を討ち倒し、祟り神へと変貌させた、呪いの原因とも言えるエボシとの問答で放たれました。
アシタカであればこそ、言葉通り曇りなき眼で見てくれそうですが、なかなか世の中そう簡単にこの境地にたどり着くことは難しそうですね。
しかし、何事においてもこの「曇りなき眼で見る」の精神は重要な事です。
何故なら人間の思考はそれまでの人生で拾ってきた情報で何かしら偏っており、その結果先入観で否と断じた物の中にある、実は有効な事象を見落とす可能性があるからです。
人生を楽しむ為には嫌な物を忌避するのも重要ですが、そこを重視ししすぎて良い事を見逃すとなると話が変わってきます。
前置きが長くなりましたが、今回は曇りなき眼で物事を見るコツについてのお話です。
まず最初に自己認識として大事なのは、「基本人の目は曇る」という事を覚えておくことです。
特に要因となるのは正負関わらず感情です。
感情が乗ると良い物は良くなくても良く見え、悪い物は良くても悪く見えます。
まだなんでも良く見える分には割と無害ではあるのですが、気を付けておきたいのが怒り、悲しみ、嘲り等の負の感情です。
俗に言う「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という奴ですね。
これはTwitter等でよく見かけるのですが、自称中立装いの偏り思考の人はたくさんいます。
例を挙げると酷評されている映画等に対して「キチンと見ずに批評するのは間違っているのでちゃんと見てきたがやっぱり酷かった」みたいな発言をする人がまあ多いんですね。
本気かネタかは人によって怪しいんですが、本気の場合であれば、まず酷評であるという認識を持って鑑賞しに行っている段階で、フレームとしては悪い物を拾う状態になっている事を理解出来ていないという問題があります。
これから見る物は悪い物だと思えば、脳は悪い物を拾う体勢を整えます。
その状態で悪く見える物を拾い続け、「ほら見ろこんなに悪かった」というのも、なかなか本質が見えていないので、個人のストレス発散としては多少意味を見出す余地があるかもしれませんが、他人が見て価値がある物ではありません。
ネタとしてやっている場合は…まあそれは本人が割り切っているならどうこう言うような事では無いんですが、そういった他人の怒りの代弁を狙ったバズりをした所で、寄ってくるのは先に述べた本質を見えてない事に気付けていない人たちばかりなので、あまりうまみがないというか、その層の気に障る発言をしたら袋叩きに合う可能性があるので、せめてそこは注意しておきましょう。
こういったネット上の発言で信頼に値するか判断する一種の目安となるのは、特にそういった負の感情を出すときに、自分の物としているかというポイントです。
感情というものは湧き出てくるものなので、蓋をすれば治まるというものではありません。
それを認めた上で、個人の感情として吐露している分には、感情に動かされている自分自身を客観視出来ているので良いのですが、それが出来ない人は妙に自分の感情を一般化されたものとして扱ってしまうのです。
最初の話にもどすなら目が曇り過ぎて物事の境目が見えなくなっているという事ですね。
こういった状態にならない為の方法はいくつかあるのですが、それは次回に回しましょう。
ですがやはり、まず自分の目は曇っているかもしれないという認識を持つ事が大事です。
それだけで大きく変わります。
軽い気持ちで「あー今曇ってるかも…」それくらいで充分です。
軽い気持ちで自分を評価すれば変化させるのも軽くできます。
ゆるい自戒をしていきましょう。