前回、前々回の記事で意図せずしてちょっと重めの話になってしまいました(汗 

 

 

 

 今回こそは、前回、前々回の考え方を利用したライトな思考の選別方法をお伝えします。 

 

 とはいえ、実は言いたい事はその二つの記事で言いきっていて、あとは視点を変えるだけの作業になります。 

 

 視点を変えるのに大事なのは実はめんどくさがる心です。 

 

 暴力は果たして善なのか悪なのかに限らず、物事を真剣に考えるってことは例外なくとても疲れる事なのです。 

 

 前回の記事の締めくくりは「思考に使うエネルギーで損得勘定をしよう」という結論でしたが、そんなに難しく考えるまでもなく「疲れたくない」で充分なのです。 

 

 その議題で疲れたくない。 

 

 と感じたならそれ以上考えない、そしてそこに変な理屈を付けずに「疲れたくないからそれ以上の思考は放棄した」という風に自分で認識しておくのです。 

 

 誰かと会話していてその事象が話題に上がった時に、仮に相手が自分より先まで考えていたとして、後ろめたさを感じる必要はありません。 

 

 それはあくまで自分と相手の価値観と優先順位の違いでしかないからです。 

 

 話題を進めるにあたって思考を進め始める必要があると思ったらその時思考を再開し、そうでないならまあ傾聴の姿勢を見せておきましょう。 

 

 因みにそういった場面で、「そんな事も考えてないの?」と聞いてくる人が居たならば、それは議題について真剣に考えているのではなくマウンティングが目的なので、その様に認識して話を切り上げるなり聞き流してやり過ごす戦略を取るなりしましょう。 

 

 転じて、会話をしていて自分自身でそういった事を口走ったり、思考に上がったならそれも自分の中で目的がマウントか、攻撃に切り替わっていたサインです。 

 

 ちょっと物騒な話、現代社会は様々なストレスがありますし、人間誰しも攻撃的になってしまったりする場面はあります。 

 

 そこを変に抑え込むよりは、まず、「今自分は攻撃的な感情になっているんだ」という事を認めてから、その攻撃性の発散対象が正しいかを考えた方が良いです。 

 

 気を付けないといけないのは、基本的によくある論破は解決とは別物だという認識の欠落です。 

 

 以前の記事にも書いた通り、何か嫌な事を解決する場合はそれがまかり通った事実のどこかを認めるポイントが必要なので、そんなに単純に否定しきって終われることはないのです。 

 

 自分がサクサクと相手を切っているような感覚を持っている時ほど、どこか自分に都合の良い部分しか見ていない危険性がある事も覚えておきましょう。 

 

 お互いに余裕があって健全な状態なら、その段階での思考の進みの違いはあくまで個人差に過ぎないので、認識を確認しあってそこから話を進めるというだけの事なのです。 

 

 ちょっとまたカタい話になりかけているので話を戻しましょう。 

 

 何か思う事があった時、まずは自分の中のめんどくさがりな側面にその事象を判別させましょう。 

 

 この時大事なのは「めんどくさい」と判断されたものは後回しリストではなく考えるのを辞めたリストに入れる事です。 

 

 半端に後で考えようと思うと、結局もやもやと思考力を奪われます。 

 

 本当に大事な事ならその事象はまた形を変えてあなたの前に現れますので安心して忘れてください。 

 

 前々回から今回までの結論は 

 

 めんどくさいかどうかを考える 

 

 と 

 

 めんどくさい事は捨てる 

 

 こういう事です。 

 

 なにごともゆるくいきましょう