前回の記事では暴力というちょっと過激なテーマを使って、思考停止をしないで事象をしっかりと見つめる事について書きました。
とは言え、世の中目につく事象全てに対して真剣に思考力を使って考えていると、気疲れも起こしますし、本当に大切な事にリソースを割けないなんて事態にも陥ります。
そうならない為に、上手い事何に思考力を割くかというのを判別出来るようにする事が大事です。
今回は思考力を割く基準に関してのライフハックです。
実は今回の話をするために、前回の記事を書いた節もあるので、未読の方は目を通して頂けると幸いです。
前回の記事であえて暴力について触れたのは、目を背けがちなポイントがあるからです。
安易に「暴力反対!」と叫ぶのは簡単ですが、それを表立って叫ぶという事は、自分自身が強いか、はたまた、暴力の集中である公権力に守られているからこそ出来ているという事を自覚しなくてはいけません。
そういった認識を持った上で、「暴力が発生しないような関係性の構築の仕方」や「暴力を良しとしない思想の定着の為に出来る事」を模索する事は建設的ですが、そうでなく、暴力=悪とするだけで暴力を排斥しようとすることは、実質言論による暴力で他者を制圧する矛盾を引き起こしている事になってしまいます。
本当に正しい意味で「暴力の無い世界」を目指す場合、単純な排斥ではなく、もっと深い理解をした上での対策をしないといけないのです。
良い面も悪い面も余すことなく精査しないと真の解決への模索は出来ない
この認識を持つ事が非常に重要です。
そしてもう一つ
感情的に否定したい物は悪い面ばかりクローズアップされる
これも人間の脳の働きとしてある、という認識が必要です。
つまり、本当に解決したい事柄は感情的な嫌悪を排除して良い面も見なくてはならないのです。
これって頭では理解できても相当に難しい事なんですよね。
感情的に嫌悪している事を良い面も理解しようとすることには、かなりのストレスがかかってしまいます。
実際に冷静になろう冷静になろうと言い聞かせた所で湧き出る感情に蓋をする事は出来ません。
そして何より、嫌悪から否定したいことを正しい解決に導こうとするならば、最終的にその嫌悪の対象をどこかで肯定しなくてはいけないのです。
これは、実際に解決に向かえば嫌悪も消えますし清々しいのですが、その道中は自己矛盾を引き起こしかなりの苦痛を伴います。
さて、ここまで長々と脅かすような事を書いて何を伝えたかったのかというと、
今直面している問題は多大な苦痛を払ってまで解決したい事か
これを常に考えておくべきなんですね。
問題を解決するのに通る苦痛と、それを放置する事で自分自身が被る苦痛、これを常に天秤にかけるという事です。
勿論自分が被害を被る事象なら、解決まで通る苦痛をコストとして支払ってもしっかり解決する必要がありますし、解決によって得られる利益は大きいでしょう。
裏を返せば直接自分が被害を被る事で無いのなら、無理に苦痛を感じてまで解決する必要は無いのです。
後者は分かり易い例としてはSNSの炎上なんかがそれにあたります。
例えば誰かが問題を起こして、それをぐちぐち追求するのに何の意味があるでしょうか?
しかもその問題を起こした人の罪の精算まで付き合おうとしたならば、その問題を起こした経緯にまで目を向けて、分析し、感情とは別にその行動に至る理由を認め、再発の予防にまで付き合う必要があります。
自分自身や、その周りの大切な人の為に支払う様なコストを赤の他人にかける意味はありますか?
こういった事を常に自分に問いかけるのです。
そうは言っても感情的になった時には、そういった損得勘定的な思考は浮かばないかもしれません。
しかし、常に自分に問いかける癖をつけておくことで、感情が治まってきた時に方向転換をすることが出来るのです。
思考のエネルギーで損得勘定してみましょう。
