今回のテーマは議論、ディベートをする上で注意したい感情や直感の意味についてです。

 

 皆さんは日頃、議論やディベートをする機会はありますか?

 

 学校の授業や仕事の会議のような仰々しいものでなくとも、日頃雑談等でも軽い議論になったりするのではないでしょうか?

 

 やれ目玉焼きは塩か醤油か、であったり、全盛期の羽生善治氏と今の藤井聡太氏はどちらが強いのか、であったり、モハメド・アリとアントニオ猪木が本当にルールの縛りなく戦ったらどちらが強いのか、というようなライトなものから、コロナ禍における今の政策の有効性はどれほどの物なのか、というような重たいものまで、探してみると結構色々な場面で議論はしていると思います。

 

 最近はどうか分かりませんが、TVのバラエティ番組などでも2陣営に分かれて〇〇派と✕✕派の論戦等という構図はよくあると思われます。

 

 そして、日常の雑談の延長線上にある議論や、バラエティ番組のディベートでよく見かけられるのが感情論です。

 

 感情論や「直感的に納得出来るor出来ない」という事柄、大体にして議論で主張が通らなさそうな雰囲気の人が出してきたり、バラエティ番組等においては完全に負け側が振りかざすものでもあったりして、負のイメージがまとわりついているような気がしますが、実はこの感情論や直感というものは馬鹿にならない意味を持っている事があるのです。

 

 直感に関して言えば、このブログの読者の方なら分かりやすいかもしれません。

 

 人間の脳は物事全てをありのままに認識しているのではなく、過負荷を防ぐ等の理由で拾う情報拾わない情報が出てきます。

 

 

 

 

 

 直感的に〇〇は〜〜であると感じたということは、無意識の部分でプロセスを省略されてしまっているものの、何らかの真実を拾っている可能性があるのです。

 

 例えば音楽を聴いていて直感で別の曲と似ていると感じた時に、正しく分析するならコード進行が同じであるとか、特徴的なリズムを採用しているであるとか、実は同じメロディを違う作曲家が別の技法でアレンジした等々様々な「似ている理由」があるはずですが、直感だけではどれが聴いた人のアンテナに引っかかったか分からないんですよね。

 

 感情論に関しても分析が必須になります。

 

 その人が何に対して良いor悪い感情を持っているのかを見定めなくてはいけない場面は多々あります。

 

 例えば、人種差別の問題等に関して、特定の人達に対して差別的な行動、言動等をしてしまう人に対して、「それがいけないことである」と言って辞めさせたところで、表面上しか収まらないということはよくあります。

 

 そういった差別的な事をする人も、差別の対象に対して悪い感情を抱いているパターンもあれば、攻撃をすることで愉悦を感じている等の感情に根ざした問題があるのです。

 

 感情に根ざした問題は分析が非常に厄介です。

 

 例えば差別対象に悪い感情を抱いていた場合でも、例えばある特徴を持つ集団に酷い目に合わされたという事もあるでしょうし、または、親や、周囲の教育で自然と悪い感情を抱く様になってしまうこともあるでしょう。

 

 前者なら、その特徴と酷い目にあった出来事に因果関係があるのか、という方面から論じなければなりませんし、後者なら、そういった周囲の共通認識が生まれた原因を探る必要があります。

 

 しかし、こういった感情が絡む問題こそ、感情に深く切り込まないと根本的な解決が見込めないのです。

 

 仕事や学術分野における議論を思い浮かべた時、そこに感情や直感というものは混じらないような印象があるかもしれませんが、実を言うと、正しくは、細かく分析するからこそ、感情や直感というぼんやりした状態では残っていないということなのです。

 

 感情や直感は議論において排するべきなのではなく、その感情に至るまでを細かく分析して議論の材料に使うものなのです。

 

 この考えはとても大事です。

 

 覚えておくと得ですよ。