さて、前回の記事で古武術的な身体の動かし方VS近代格闘技の理論を抽象化するといった話をしました。
今回はそれに近い話ですが、実際に私が分析して抽象化してみた流れを示して見たいと思います。
さらに、そこから他流批判ではなく、他流を尊重した考え方が出来るマインドの作り方に繋がるので、水掛け論的な争いが起きないコツとして覚えておくと良いと思います。
まず初めに、今回私は2つの流派の空手と一つの戦闘術と言える物を抽象化しながら考えて見ましたが、その時に一つ大きな前提として
同じ目標を目指していても選ぶ道筋が違うと対象的に見える事がある
という認識を持つ様にしました。
例えば山登りや山間の神社の参拝等をする際に男坂、女坂という道があるのを見たことがあるでしょうか?
入り口、出口が共通だが分岐が起こっていて片方が急峻、片方がなだらかな坂(等)のことを指します。
目的地は同じでも通り道が違えば景色が違い、体感では疲れ方も違ったりするでしょう。
簡単に言うとそういう事です。
比較的武術関連に関しては人の身体を使って、戦って勝つという目標は共通しているので、完全にでは無いにせよ共有する技法はあると考えられるのです。
さてようやく本題です、前回の記事のような腰を回す回さない論争に近いものが、空手にも実は存在しているのです。
初めにこの動画を見てもらいましょう。
私が浪人中に出会った動画で、この動画が私の中の第二次空手ブームのきっかけとなりました。
この動画においては腰を入れるという概念が出てきていますね。
前回記事の腰を回すとはまた違う概念なのでややこしいのですが、腰使いに重きが置かれている事は分かるでしょう。
ここで注意しておきたいポイントは動画の中で、技術の説明の為に大きくゆっくり動かして見せている時や、お弟子さんの演舞の時は腰が大きく動くものの、実際に近い動きを見せる時にはほとんど腰の動きは見えないという所です。
この流派では、少なくとも習得段階には大きく腰を動かして腰の動きを認識に上げ、その後余分な動きを削っていく様です。
そして、今私が所属している流派では明確に腰は動かさないと言われるんですね。
特にナイハンチ初段に関しては、下半身をがっちり固めた上で上半身の動きで威力を作るというコンセプトです。
厳密に言うと身体の横方向に対して肘打ちや突きを打つのですが、その動作に必要な以上に身体を回さないということです。
このあたりは前回の記事にも書いた自然な範囲での腰の動きという事ですね。
いずれにせよ印象としては、同じ型一つとっても捉え方が大きく違って見えるんですね。
この流派間の違いを私の中で納得させる為に、間に入る一つの身体操作法がありました。
それがウェイブです。
ウェイブの関しては過去の記事で少し取り上げているので参照した方が分かりやすいでしょう。
実を言うとこのウェイブという身体操作方法は、成り立ちとして古武術や軍隊等で用いられる戦闘術を肩甲骨の動き、または股関節の動きから発する力の流れとして抽象化した物なのです。
ウェイブが絶対的に正しいかと言われると、私は門外漢ではあるので語りきれないのが本当の所なのですが、簡単に言うと抽象化された身体操作法という名目で物差しに使いやすいんですね。
ちょっとウェイブの解説動画も見てみましょう。
因みに過去の記事にも書いてありますが、ウェイブの基本は肩甲骨の動きだそうです。
肩甲骨を自在に動かして力を伝えられる様になるのが、ウェイブにおける無級から九級の差なのだそうです。
因みに私が所属している空手も、肩甲骨の動かし方の重要性を説いていますが、稽古に出てくる段階が違います。
肩甲骨の動きが重視される型がナイハンチ二段です。
過去の記事にも少し書きましたが、肩甲骨の操作に関してはある程度の段階を踏んでから入るということで、ウェイブとは近い要素でも修得のタイミングが違うということになります。
そして、最初の空手の動画の腰の動きと股関節を利用したウェイブがこれに近い気がするのです。
そう考えるとウェイブは肩甲骨から入りますが、動画で紹介した空手の流派では腰の方から入っていくという形になっているように思えるのです。
要するにここでも修得のタイミングの違いがあるということですね。
そして、私が所属する空手は上達するにつれて、下半身の固定がない状態でも自然な身体の動きで力が出せるようになり、動画で紹介した流派は上達につれ腰の動きが見えなくなります。
最終的には起こりの見えず、かつ強い威力を目指すという意味では段々と技法が抽象化されて近くなると言えるのだと思います。
動画で紹介した空手、私の所属する空手、ウェイブ、三者が違った道のりで積み重ねながらもほぼ同じ要素(=抽象化出来る要素)を通って勝てる動きを目指すことになるというのが、中々興味深い事だなと感じられました。
ここまでで大事な考え方は、選ぶ道中の多様性を認める事です。
例えば武術に関しては、流派ごとに違うルートが示された地図を持って武という山を登っていると考えれば、少なくとも「うちが正しくて他は偽物」という思考にはならずに済むので、不毛な最強論争に巻き込まれることは無いのです。
武術に限らず、同じ目標を向いていて意見が食い違う事柄に関しては同じ様な事を言えるはずです。
抽象化の訓練と争いごと回避のためにも、この様な一相反するものをまとめる方向、のマインドは役立つので訓練しましょう。