若干ミーハーではありますが、またYou Tubeを見ていて納得することが有りましたので共有させていただきます。

 

 まずはこの動画をご覧下さい。

 

 

 

 動画全体も面白いですが、この中で私がクローズアップしたい部分は一つです。

 

 それは知らないという感情と嫌いという感情が極めて近いという発言です。

 

 該当の発言は動画の26分辺りで述べられています。

 

 話の流れは西野さんがクラウドファンディングやオンラインサロンという当時としては革新的な制度に手をつけ始めた頃のお話です。

 

 現在ではある程度浸透しつつあるクラウドファンディングやオンラインサロンですが、認知度が低かった時期は相当に印象が悪かったように思えます。

 

 人は理解できないものを詐欺か宗教で片付けたがるというのも、確かに個人のビジネスの世界に飛び込んでから納得が行く話だなという実感がありました。

 

 さて、この動画で西野さんが語る知らないという感情と嫌いという感情が近いという事に関して私はその間にもう一つ近い感情があるかなと思っています。

 

 それがタイトルにもある恐怖という感情です。

 

 ここで一度過去の記事に目を通していただきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 記事にも書いているように私の中のコンフォートゾーンの解釈の一側面は、自分の予測通りに事が進む範囲というものです。

 

 起こる事象の良し悪しではなく想定の範囲内であることが安心できる空間の条件であり、逆に想定の範囲を超えるのであれば事象の良し悪しに関わらず不快に感じてしまうということです。

 

 これはある種人間の動物的な本能が原因なんだと思います。

 

 生物の根源的な欲求として自己保存はかなり優先度の高いものです。

 

 環境の変化や理解できないもの等未知の状況に遭遇した時、確かにその状況が良い方向に働くこともありますが、不用意に近づくのは一種の博打的な行為に当たります。

 

 自己を守るとするならその状況から逃げるか攻撃して打ち倒すか、どちらかが確実なのです。

 

 ストレスを感じた時にアドレナリン等が分泌され時に火事場の馬鹿力を引き起こす闘争か逃走反応というものが有ることからも恐怖は嫌悪と近い感情だということが分かりますね。

 

 自己保存の観点から考えて「未知≒安全が脅かされている可能性がある≒恐怖または嫌悪」という構図になっているのです。

 

 そしてこの構図から、未知の事象に関して納得出来る理由をこじつけたい為に結び付けられるのが詐欺や宗教なのです。

 

 宗教に関しては日本の文化に新興宗教は危ないという刷り込みがあるため、どこにおいても普遍的かは分かりませんが、要するにネガティブな物と結びつけたいんですね。

 

 それは嫌悪や恐怖という感情を正当化したいからということでもあります。

 

 「あの時の判断は間違っていて美味しいところを逃した」という感情からの逃げでもありますし、確かに本当に騙されるリスクが有ることを考えると安全策なのは間違いないのです。

 

 長くなりましたが以上の事から何が言えるか。

 

 それは嫌悪や恐怖という感情にはノイズが乗りやすいということです。

 

 人は多種多様であり、どうしても反りが合わない人や受け入れられない事象というのはあります。

 

 それ自体は問題無いのですが、実はぼんやりと嫌悪や恐怖を感じているものが本当は知らないというだけで、理解すればそういった感情が消えるという事は大いに有りえます。

 

 さらに言えば理解をした上で合わないと感じて距離をとったほうが、未知で有ることからくるノイズを受け続ける事が無くなるのでストレスも減るのです。

 

 嫌いなものや恐怖を感じた時、一度その事について分析してみて下さい。

 

 理解したほうが心がスッキリしますよ。