先日、過去の記事で自らのふがいなさを実感した団体とは別のオーケストラの練習がありました。今回はその振り返りと共に技術の定着の難しさのお話をします。 

 

 祝日があった関係で前回の記事の練習の次の日が仕事でまた次の日が休日でその日に練習でした。要するに前回の別団体での練習から間一日でまた練習だったわけですね。 

 

 そして過去の記事に書いたように先にあった方の練習では楽譜が頭に入ってこないが楽器はとてもよく鳴らせる状態でした。 

 

 理想としては楽器を鳴らす感覚はそのままに、楽譜を読む力と周囲への反応と対応力を上げられれば最高でしたね。 

 

 結果から述べると、楽譜を読むのと周囲への反応・対応のパフォーマンスは上がりました楽器の鳴らし方に関しては一歩後退という感じでした。なかなか上手く行かないものですね。 

 

 楽器を鳴らすのが上手く行っている時は本当に力を入れている感覚がないです。弓の毛が弦に触れた状態から動かすときに力を入れなくても一瞬で反応してくれる感じです。 

 

 指先では小さく、しかし確実な引っ掛かりを感じ取れます。その上で腕に軽く動かす感覚で力を入れても自然と腕全体が連動してものすごく大きく動くといった事になります。 

 

 過去の記事に少しだけ書いたライナー・ツェパリッツ氏はその体格と全身を余すことなく使う豪快な奏法でも有名でしたが、上手く鳴らせている感覚の時はツェパリッツ氏の奏法の足元位には届いているのではないかと思う程腕がのびやかに動き、楽器が鳴ります。 

 

 では調子が悪いときはどうなるか。まず弓の毛が弦に引っ掛かる感覚が希薄になるんですね。そうすると弓の毛をなんとか引っかけようとして指先から無駄な力みが生まれるのです。 

 

 上手く行っている時とそうでない時の違いで考えるとその力みの感覚によるものなのか、モーションにも微妙な違いが差を生んでいるようではあります。 

 

上手く鳴らせている時は引っかける事にほとんど力を使わないので横方向の動きがかなり大きくなり、鳴らない時は引っかける為に弦に弓を押さえつける力の分縦方向の動きが生まれるので若干動きが小さくなっている気がします。 

 

 ここが難しい所なんですね。頭では理解出来ていても100%では再現できない。単なる力の入れ具合だけでなく、まだ意識に上げられていないポイントがあるのでしょう。 

 

 とはいえ、出来ている時は確実にある訳なので材料は揃っている筈です。練習をこなして上手く行く条件を見つけ出すしかないですね。 

 

 

この楽器を鳴らす技術、力みが必要ないのに力んでしまうという点においては空手とも共通するんですよね。 

 

 そして、たった中一日の差ですが空手の稽古で掴んだ感覚が鮮明に残っている方が身体の使い方としてパフォーマンスが良かったというのは何とも悔しい思いもあります。 

 

 しかし、丁度この記事を書いていて気付いたのですが、よく考えたら空手で苦手としている手先から動くという感覚が楽器では比較的しっかりと出来ているんですね。むしろ鳴らし方が上手く行かない時の方が指先に力が入っている? 

 

 技術としては一瞬得た良い状態から後退しましたが、認識として練習方法のアイディアで前進がありました。この調子で安定して右肩上がりと行かなくても着実に進んでいこうと思います。