2回連続で空手から気付いたお話です。  

  

 以前の記事で空手はかつて流派に属すというよりも、様々な師を巡って各々に最適化するいわば一人一流派のような形態だったという事を書きました。   

   

 今回はその認識に新たにアップデートがかかる出来事があったのでお伝えしたいと思います。   

  

 昇級審査の後の懇親会で、ちょうど私が座った席が各稽古会の指導者の多い卓だったというか、正面側に黒帯がずらっと並ぶ配置で、今考えると相当贅沢な席でした。  

  

 その卓で話題に挙がったのが「空手の技術を個人個人どう捉えているか?」という事でした。  

  

 特に黒帯の方々は直接師範から指導を受ける機会が多い訳ですが、やはり同じ指導を受けても微妙にとらえ方のニュアンスは変わっているようです。  

  

 ここでまだ初級段階だと混乱を招くというか、どの解釈が正しいのかと気になってします所ですね。  

  

 しかし黒帯ともなる方々だとそこに関してはうまく割り切っているというか、そこの解釈の違いは自分とは別の視点として役立てているようです。  

  

 同じ言葉を受け取っても人によって何が刺さるか、どこを重要視するかが違う  

  

 これは黒帯の方々の中でもある程度の共通認識で有るようです。人によって得意分野、苦手な分野も違うし、興味が向く場所も違う。それぞれのフレームで技術や言葉を抽象化しようとするから出てくるものも違いが出るんですね。  

  

 前回の記事に有ったように、最終的にほぼ同じ ゲシュタルトを目指すとしても、個々の持つ材料が違うという事に近いニュアンスだと思います。 

  

 それがその人ごとの色なんです、また、同じ稽古会ばかりでなく別の稽古会を巡った方が良いという事もこの一人一人違う抽象化をしたポイントを多く受け入れた方が自分自身の理解の材料になるという事ですね。 

 

 稽古会を仕切る黒帯の方々に対して別の稽古会の先輩が質問をしていました。「黒帯の方々の様な色が自分はまだ見いだせない」とそれに対して私が所属する稽古会の稽古会長がこのように回答していました。 

 

 多分気付いていないだけで色は既に持っている。それを体系付けて教えようとする時に筋が通るように組み立てるから特色になる。 

 

 との事でした。含蓄のある言葉ですね。確かに全てではないものの、いくつかの稽古会を巡っていて感じたそれぞれの特色は稽古会長毎の重視することとそれに纏わる理論体系であったように思えます。 

 

 黒帯の方々の中にもそれぞれ得手不得手、重視することの違いがある。空手の会派の規模としては大きくなく、一人の師範のみが教えていてもこのように一人一流派的な状態にはなるんですね。ある種その方が自然なのかもしれない。 

 

 とはいえ、教える立場になり、自らの体系が出来上がってもそれだけでは不十分なのでしょう。私の所属先の稽古会長は冗談めかして「他の稽古会にスパイを派遣してどう教えているか情報収集している」と言いますが、そうやって常に他の要素を取り入れてアップデートしていくことが大事なんだなと感じました。 

 

 自らが一流派だと気負ったうえで、その流派の発展を目指すという姿勢が上達に向けての良い思考です。頑張ります。