今回は空手の型や基礎練等で上達する仕組みについての気付きが有ったのでお伝えします。何かを学ぶ時の自分の段階の把握と進み方に役立つかと思います。
昇級審査が終わった後のことです。同じ稽古会に属している先輩が、稽古会長(普段の稽古会の指導者)へ型の感覚についての質問をしていました。
その先輩は年は私より下ですがその分溌剌としているというか、エネルギーに満ち溢れていますし、疑問点を見つけ出し、自分で考えつつもそこをすぐに確認しようとする姿勢が素晴らしいので見習いたいなと思っています。
話が逸れたので戻します。
その質問に対し稽古会長の答えは以下の様な物でした。
感覚については人それぞれだから教えるのが難しい。まずは型や基礎練で外側の見える動きを整えて、自分でその感覚がどうだったかを理解しないといけない。
とのことです。言われてみれば確かにその通りですね。例えば歩く等日常の動作一つとっても無意識下で処理されている情報は膨大です。
どちらの足から動かし始めるか、どれくらい足を上げるか、足を出す方向は、重心の位置は、手の振りは、目線は、等々全ての事を意識して行うことはほぼ不可能です。
でも人は歩くという動作を平然とやってのけています。これは何が起きているかというと一種のゲシュタルト化が起きているんです。ゲシュタルトに関しての詳しい話は過去の記事を参照ください。
一つ一つを取り出しても意味を成さない動作がまとまって歩くというゲシュタルトを構築しているわけですね。
このゲシュタルトを構成する要素は人によって違うんです。例えば意識の有無は別として人によって歩くときに足を上げる高さや速さが違うのと一緒です。
空手の技術は型や基礎練によって伝えられる訳ですが、それは人によって違う動作ごとの感覚を抽象化して型という共通の動作、つまり共通のゲシュタルトを構成しようということなのです。
昇級審査の時に師範がこう仰っていました
級を上げ、黒帯に至るまでの道のりはひたすら覚える事です。初段以降でようやくその使い方を教えることが出来る。まずはひたすら覚えることに努めてください。
と、高度な技術の運用をしようと思った時に、その段階で身体の動かし方を細かくいくつも考える事は出来ません。
間合いを詰めて攻防を繰り広げる際には「歩く」というゲシュタルトですら細かすぎるのです。
距離感を測る、相手の呼吸を見る、彼我の重心の意識、突きの動作、等々型や基礎練を通して構築したゲシュタルトを更に組み上げてより大きなゲシュタルトを構築しなくてはいけません。
この様にまず最初の段階を無意識に行えるように訓練し、一つの塊にして更にその塊を集めて大きな塊にして無意識下に落とし込んでということの繰り返しは全ての学びに共通することだと思います。
いきなり大きな物を求めるのではなく徐々に徐々に、確実に成長することを求めましょう。