花粉症の季節は嫌な想い出の季節 | あなぐまくんの、トホホなランニング日記

あなぐまくんの、トホホなランニング日記

56歳男性。千葉県八千代市在住。

減量目的で2013年1月に走り始め。
2014年2月に初フル(東京マラソン)
2016年3月に3時間14分51秒(佐倉朝日健康マラソン)
2017年12月の10kmレース中に心肺停止で救急搬送される。ICD 入れてなんとかしぶとく生き残っています。

3月。
大学時代から花粉症に悩まされる時期ですね。
その時期に、大学時代にハマっていたオリエンテーリングの日本学生選手権大会(インカレ)がありました。土曜日に個人戦、日曜日に団体戦(リレー)。今年も今週末にあります。杉の林の中を走るスポーツのインカレがこの時期にあります。


中高と部活に入らず過ごした自分でも大学から始めて日本一になれるかもしれない、との理由で選んだこの競技。
ハマって、学業を疎かにした結果、5年間も通う羽目になり、親に迷惑をかけ自分のその後の人生にも影響しましたが、今となっては貴重な経験、原体験です。

インカレ個人戦は誰でも出られる一般クラスと、2回の予選に通過したら走れるエリートクラス(選手権)があります。団体戦は大学の代表4人に選ばれれば走れます。

1年時 個人戦:新人クラス鳴かず飛ばず
          団体戦:一般クラス、1走で50位くらい

2年時 個人戦:一般クラス:20位くらい
           団体戦:一般クラス、覚えていないくらい悪い

3年時 個人戦:一般クラス:10位くらい
           団体戦:一般クラス:1走で1位でもチームは4位で入賞を逃す

大学は強いクラブでした。かつては個人戦優勝者もいて団体戦エリートクラスも最多優勝回数を誇っていましたが、私が入学してから3年間は2位、2位、6位。
3年の時には個人でも団体でもエリートクラスをはしれるだろう、と考えていましたが、結局3年間は全く結果を残せず、実力も大したことなく。

このまま終わったら何も残らない、と考え、3年の2月から密かにトレーニングを開始。それまで月に60kmくらい週末のレースや練習会でしか走りませんでしたが、ランナーズを読みながら1人でランニングを始めました。毎月250〜400kmくらい走るようになり、体力がつき、レース中に余裕ができて、レース中ずっと全開で走り続けられるようになりました。1人で高尾・陣馬山を走りに行ったり、高尾山口から練習会のある青梅に走りに行ったり、青梅の練習会に行くのに奥多摩で降りて尾根道を走って行ったり。飯能のレースで不甲斐なかったら、レース後に青梅街道を田無まで走って帰ったり。大菩薩峠登山競走を走ってみたり、やる気がありそうな仲間を誘って小さな駅伝に出たりしました。

6月にはある大きな大会でエリート10位、学生1位になり、いきなり結果を出して驚かれました。

しかし精神的に弱いためか、地図読みがいい加減なためか、レース結果は安定せず、速いと無茶苦茶速いが遅い時もよくある、という馬鹿型に。

そして最大の目標であった4年の滋賀インカレ。
個人戦:選手権6位入賞
団体戦:選手権4走 地図取り違えで失格

大学15年の歴史で団体戦選手権で初めて6位入賞を逃す(アンカーの私の段階で10位で結局8位相当でしたが)結果に。
前日に無名で素人の自分でもやればそれなりにできるんだ、と自信を持てた(大学では前後各々3年間入賞者無し)のに、翌日には一転して大学の歴史に汚点を残した張本人になってしまいました。泣いた泣いた。

腑抜けて過ごした5年時に、一応一般クラスを走りました。
個人戦:一般クラス:優勝
団体戦:一般クラス:1走4位でチームは優勝
後輩に助けて貰い、両日とも金メダルを貰えましたが、団体戦選手権でまたしても失格の結果で全く喜べず。

その後卒業してからは全く走らず、ランニングやオリエンテーリングとはほぼ無縁の生活を続けていましたが、3月になると、後輩たちに地図を取り違えるな、とメッセージを送り続けていますね(苦笑)。
そして2013年に走り始めて今に至っています。

痛い目に遭って初めて一瞬だけ頑張れる、甘くてアホな自分。

人間の本質はそんなに簡単には変わりません。今でもレースで安定した結果を出せないのは当時と同じ。嫌になりますね。


3月のこの時期、今週末に大学の後輩たちが挑むインカレが近づくと、毎年こんなことを思い出して、懐かしく思うとともに自分が嫌になりますね。

3月の佐倉は私にとっては忘れ物をしてきたインカレに重ねて頑張ってしまうんでしょうね。団体戦だと思うと、自分だけの力じゃなく走れるから去年のように実力以上の結果が出せたのでしょうかね。

今年の佐倉?
卒業したOBの気分です⁉︎