朝、走るのが嫌な時は、 | あなぐまくんの、トホホなランニング日記

あなぐまくんの、トホホなランニング日記

56歳男性。千葉県八千代市在住。

減量目的で2013年1月に走り始め。
2014年2月に初フル(東京マラソン)
2016年3月に3時間14分51秒(佐倉朝日健康マラソン)
2017年12月の10kmレース中に心肺停止で救急搬送される。ICD 入れてなんとかしぶとく生き残っています。

皆さま、おはようございます。

昨晩久々にビールを1リットル飲んだからか、なんとなく胸の辺りがだるい。
気温2度と寒いし、雨は降っていないけど花粉は飛んでいるだろうし。
走るの嫌だなぁ、サボろうかなと思っていたので気分転換。
村上緑地公園でゆっくりクロカンジョグをすることに。
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1ヶ月前は5時半では真っ暗でしたが、今日は明るく安全に走れました。

緑地公園のクロカン走は楽しいですね。
道じゃない場所を走って下ったり、広場をスピードを上げて走ったり。変化があり楽しめます。

そして下りでは強制的にスピードを上げたりストライドを広げたりしなくちゃならないし、上りは腕を振って頑張らなくちゃいけない。

わずか3周でしたが楽しんで走れました。
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その結果体重は、なんと過去20年で最低水準に!
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体重計が壊れたんじゃないか?


震災前はたまに会社帰りに歩いて東京駅から葛西や浦安まで帰っていた。
電車が動かないと分かった瞬間に、浦安まで帰るのに2時間もかかるんだから、歩いて自宅に帰るのは無理だと即断。
新大久保の実家に電話して泊めてもらうことに。
歩いて1時間ほど、マンション11階まで階段を昇るのが大変だった。

実家ではたまに顔を出すもんだから、ご馳走をしてくれたりビールを出してくれたりして恐縮。陸前高田が津波で覆われる映像をテレビで夜中まで見ていて申し訳なく思った。

翌朝東西線が動くかも、との情報から見切りで早朝の高田馬場へ。何度か止まりながらも電車が動き、9時頃に自宅近くに到着。妻と2人の子供が外まで歩いて迎えに来てくれた。夜は心細い中、頑張ってくれたのでしょう。

東京から保育園まで歩いて夜中の2時頃に迎えに行った人や迎えが来るまで自分の家や家族を置いて保育園で子供達と過ごしていた保育士さんの話を聞いた。どんな状況でも帰れるくらい強くならなくちゃな、と思った。
職場から自宅まで40km。
震災がランニングを始めたきっかけの1つ。ランニングを始めてから2度走って帰った。4時間は切れる。
途中駅の西船橋から、西船橋までも何度も経験しているので、様々なルートは理解できた。
ランニングシューズを職場に置いてあるし、今なら速くは走れないけど必ず帰るだろうな。
少しは強くなったかな?