あれから4年ですか。
あの日は27階で仕事をしていて、ゆっくりと大きく揺れた。階段で地上に降ろされ、40分後にまた27階まで階段で昇った。一緒に昇った元山岳部の女性に途中で置いて行かれた(苦笑)。
当時の私は全く走っておらず、約40km先の自宅に帰るのを早々に諦めた。8km歩いて新大久保の実家に泊めてもらった。風呂に入った後、母が料理を出してくれるわ、ビールを何本も飲ませてくれた。深夜3時くらいまで、津波で凄い被害にあった陸前高田市の映像を温かい布団の中で繰り返し見ていた。
自宅で不安の中2人の子供を守ってくれた妻に申し訳なく思った。翌朝早くに電車に乗り、時間がかかり10時くらいに家に帰り着いたが、家族全員が嬉しそうな顔で近くの公園まで迎えに来てくれた。
聞けば保育園では2時過ぎまで親が子供を迎えに来るまで先生が守っていたとか。
それらを通して、どんなことが起こっても、自宅にいち早く帰れる体力を身に付けたい、と考えた。
そして今では会社から家に走って帰れるようになった。どのコースをいけば良いのかも分かり、4時間くらいで帰宅ランできるようになった。
そんな私は結局自分勝手で視野の狭い人間なわけで、被災地の方々のことまで考えが及ばない人間としての至ら無さを情けなく思う。
しかし、私にとって変わるきっかけになった一つが3.11なのであります。だからこそ一生懸命に頑張って走らなくちゃダメですよね。
それまでは一度も走ったことは無かったけれど、家族が迎えに来てくれたあの小さな公園が、今では私のホームグランドです。