思い出を辿る旅 | あなぐまの下町質屋ブログ

あなぐまの下町質屋ブログ

横浜の下町、弘明寺で創業65年の質屋を継いでいる
「あなぐま」です。
『質屋ってどんな人がやってるの?』という疑問にお答えするため、日々の業務や日常、趣味、質屋の裏側、クルマやバイクの話題を書き綴ります。
https://iwata-shichiten.com

今月の連休は、一人で新潟県上越市に行ってきました。

私が大学を卒業してから就職した自動車メーカーで、初めて派遣された町です。

まだまだ感受性も高く、血気盛んだった20代を過ごした町ですから、いろんな思い出があるのです。

 

昔々、「ヤング720」という番組でかかっていた『ふるさとよお前は』という歌、ご存じの方はいませんか?

 

 

『♪ふるさとよお前は、憎いやつ、思い出なんかありゃしない、 疲れた時には口に出る、お前が聞かせてくれた歌・・・』

 

といった歌詞で、これは私が小学生低学年の頃、聞いただけなのですが、な~ぜか耳に付いておりまして、

50年以上経った今でもソラで歌えるんです、歌詞は多少間違ってるかもしれませんが・・・

 

で、数年前、両親を相次いで介護していて家を離れられなかった時に、

『この介護はいつ終わるんだろう・・・、介護が終わって自由に何処へでも行ける時が来たら、青春時代を過ごした上越に、また行ってみたいなぁ、』と思いながら、Googleマップのストリートビューで、上越の街並みを眺めていたのです。

 

暗い奴だと笑ってください。でも、故郷ってのは、『疲れた時に思い出すものだなぁ~』と、あの歌の歌詞を実感したのでした。

というわけで、今回、新しい車も来たわけですし、この連休を利用して、新車に乗って上越まで行ってきました。

 

出発は、午前5時。

先日の大山詣で懲りたので、拡幅工事中の東名横浜町田インターは使わず、綾瀬スマートインターから高速に乗り。

外環道、関越自動車道、上信越自動車道と、全行程のほとんどを高速道路を走行しての旅程となります。

 

この歳になると、自らの体力や運転技術の過信は禁物ですので、疲れていなくても、定期的にサービスエリアに寄りながらの、のんびりドライブです。外環道・厚木PAと、関越道・上里SA、そして上信越道佐久平PAは「佐久平ハイウェイオアシス」という名前で、高速から降りなくても遊べる遊戯施設や日帰り温泉施設に直結しています。

 

佐久平ハイウェイオアシスは、パーキングエリアから長い長いエスカレーターで登ると、レストランや日帰り温泉、カブト虫の森や、スキー場まであるのですが、ただし、到着したので午前9時。どこも営業していませんでした。

ただ、佐久平を一望できる景色だけ堪能。

 

そのエスカレーター内に掲示されていた注意書きが面白かったのでパチリ!

きっと、ふざけたくなるほど楽しい場所なのでしょう。

 

上越市高田には11時に着きました。ホントは、上越に住んでいたころよく通った、新井市の「とんじるの店たちばな」に寄ろうと思っていたのですが、たまたまホームページを見たら、この日は臨時休業とのこと、ガ~~~~~ン!とショックを受けるも、気を取り直して、高田城址公園に向かいました。

 

上越市高田という町は、徳川家康の六男、松平忠輝の居城、高田城の城下町なのです。

童話作家・小川未明の故郷でもあるこの町は碁盤の目のように整備された街並みが美しい、ちょっと文化的な香りもする町で、

その中心がこの高田城址公園なのですが、現在では私が住んでいたころはなかった高田城三重櫓が再建されていて、より城下らしくなっています。

 

 

高田駅近くの仲町通りは、雪国特有の雁木(がんぎ)と呼ばれる雪除けの小屋根が連なります。

ただ、仲町通りというのは、新潟市の古町、長岡市の殿町と並ぶ繫華街というか歓楽街だけに、スナックやクラブの看板がこれでもか?と言うくらい沢山あります。実際、横浜の福富町や野毛より多いんじゃないかな?昼間でしたから、実際に営業しているのかどうかはわかりませんが、よく続けられるなぁと感心するほどです。

私もね、40年前は通っていたので何とも言えませんが・・・・・

 

 

その仲町通からちょっと歩いたところ尾にある、笹飴の本家本元のお店です。ここでお土産に笹飴を購入してから、同じ上越市の港町、直江津に向かいます。

かつての国道8号線沿いに北上するのですが、周りの建物は40年前とは様変わりしていますが、道そのものは変わらず、

ここを通ればもうすぐ直江津、こっちへ曲がれば春日山城・・・・、などと、道路標識を確認しながら自然と笑みがこぼれる運転でした。

 

直江津の海岸、私が居た頃は「五智海岸」と呼びましたが、今はそう呼ばないのかな?

ちょっと驚いたのは、砂浜が後退していること。

これは日本全国で言われていることで、湘南七里ガ浜でも季節によっては地盤が露出することがあるのですが、日本海側では特にひどい感じがします。この直江津では沖合に消波ブロックを積んで砂浜流失を防いでいますが、以前も書きましたが、

私が住んでいた当時、彼女とこの浜でデートをしていた時に北朝鮮の工作員に拉致されそうになった経験があるだけに、まあ、黒歴史ですが、思い出の流出は残念です。

 

さて、直江津の街並みを確認した後は、私が住んでいた福橋を通って、国道253号線を松之山に向かいます。

ちなみに私が住んでいた福橋の社員寮は、取り壊され、今は何も建たず荒れ地のまま、その向かいにあった私が勤めていた営業所はセブンイレブンになっていました。

 

当時、営業テリトリーが国道253号線沿いの東頚城郡で、毎日この道を運転していたので、この道を通るだけで涙が出るほど懐かしいのです。

 

時代の変化は仕方ないことです。当時、コンビニもファミレスも無かった上越ですが、今はコンビニが道路上のあちらこちらに点在し、その分、町から離れた田舎でも便利になったからいいのでしょうけど、寂しかった田舎町にコンビニの煌びやかな看板が見えると、私には何故か逆にちょっと寂しい思いも持ちました。

 

私が、営業で回っていたころは普通だった棚田や雑木林の風景を観光資源として確立し、紹介していることは素晴らしいことだと思います。翌日行った「美人林」もそうですが、上の写真は「儀明の棚田」という、儀明地区の国道から見下ろせる棚田の風景で、見晴らし場と駐車場が整備され、看板が掲げられて、大型カメラを持った写真ファンらしき人もいました。

 

そんな40年前に私が過ごした村々の風景の、変わったところ、変わらなかったとこを確かめながら1時間ほどの運転で、この日泊まる松之山温泉に到着しました。

これは温泉街の一番奥にある源泉ですね。急激に冷えてきた山の空気の中、白い湯気が盛んに出ていました。

 

 

松之山温泉については、知らない人は知らないかもしれませんが、有馬、草津と並ぶ日本の三大薬湯とのことです。

小正月に行われる奇祭、墨塗りや、婿投げでニュースで紹介されたことを見たことがある人はいるかもしれません。

ここは私が営業で回っていたころから、山奥にある鄙びた温泉街でしたが、その雰囲気は今も同じでした。

ところが、いざ温泉街に入ってみると、ジャズとコーヒーの店とか、湯治BARとか、二次元萌えキャラ娘の等身大の看板など、

若い人たちに受けるように、今の感覚で頑張っていることがわかります。

 

 

とは言え、私が宿泊した野本旅館は、とても清潔でいいお宿だったのですが、通常、旅の手記には鉄板ものの、食事の写真は、まあ美味しかったものの写真映えはしなかったので、載せません。ちょっと日本酒を飲み過ぎたのと運転の疲れて、早寝してしまいました。

 

そして、翌朝は雲一つない快晴!、さっそく「美人林」に向かいます。

 

 

美人林というのは、松之山にあるブナやナラの広葉樹林です。山間部で溜池が作りにくいために、稲作に必要な水を確保するために残された林だそうですが、これも昔からあった林を観光資源として名前と駐車場をつけて観光地としたものなのでしょうか?

この日は、すでに落ちかけた紅葉と、地面に敷き詰められた落葉、木々の間に見える青空が最高な景色を見せてくれていました。

 

 

 

そこから、清津峡に回りました。

清津峡は、確か私がクルマで新潟に帰るときに、ついでに車に母を乗せ、行った事がありましたが、

今はトンネルが「映えスポット」として有名で、すでに紅葉が終わっていましたが、外国人を含む多くの観光客でにぎわっていました。

 

 

そうして、十日町の中心街に入って、昼食に名物の、へぎ蕎麦を食べて、六日町インターから帰路に着きました。