今日は 家に居て プチ・断食だ~と 考えていた朝の事。
友達が 思いがけず映画<永遠の0>に誘ってくれました。<写真はネットから拝借>

彼女のお母さんが観たいと言ってチケットを予約したんだけど都合が悪くなったので良かったら・・・と。
興味はあったけど 独りで見に行く勇気は無かったので嬉しかったです。
そして 予想通り 大泣きして目が腫れて帰って来ました。
泣いたワケは ストーリーだけでは無いです。 父を思い出しました。
生きていたら87歳。 3年前に亡くなった父は17歳で志願兵として海軍に入隊した。
この時代の話によくあるように お国の為に死ぬ・・・という様な事ではなく どうせ戦争に行かなくてはならないなら 少しでも早いうちに行って 母(=祖母)が元気なうちに 帰って来たいと思ったそうだ。
父親(=祖父)はこの4年前に亡くなった。 後には13歳の父を頭に3人の子供が残された。
志願兵として佐世保海兵団に入隊した父は 給与の家族渡しを申請し 自分は1銭も手元に持たなかったそうだ。 だから 遊びにも行っていないから 異母兄弟が現れる心配は無いと後年 笑った。
<永遠のゼロ>の中で 主人公の孫が 戦争の事を調べるシーンに 見覚えのある緑色のカバーの本が机の上にあるのを見た。 <敷島隊の五人>という本だ。
これは 特攻第1号と言われた <関 行男大尉>について書かれた本で この中には父の名前も出てくる。
19歳になった父はこの頃 マニラのニコルス基地で 戦闘指揮所の連絡員として勤めていた。
そこに この関大尉が赴任して来た。 彼は父の言葉のなまりを耳にして声を掛けてきた。
『 お前、伊予なまりがあるな』 と。
関大尉も同じ愛媛の出身だった。 それに 父と同じく 母親を残しての出征で通じるものがあったらしい。 他の目が無い時に 自分の士官用の弁当を父にくれた事もあったそうだ。
その後 彼は特攻第1号 軍神ともてはやされ、2階級特進したが 現実はそんな事ではなかったらしい。
亡くなった時 彼は23歳。 遺された母親は47歳だったそうだ。
あのワンシーンから こんな事を思い出して この映画を父に見せたかったなぁ~~と涙。
本が好きだった父が眼の病気で 思うように本を読めなくなってからは 私が 読んではテープに録音し父に渡した。
いくつかの本の中で 父に好評だったのが この2冊でした。

女の子にもてたいのは いつの時代も同じ。
陸軍より 制服がカッコいいからとの理由で海軍に志願し 筆とペンのマークが知的に見えるからと <主計科>を志願したはいいが カッコ良かったのは主計科でも経理の方で 作者が回されたのは 衣糧・・・つまり <めしたき兵>だったという体験談。

いろいろな部門があるのは どこの世界でも同じ事。
あの大敗を期したミッドウェー海戦の最中も 戦艦霧島の厨房で夜食用の汁粉を作っていたそうだ。
この本は 戦争を別の視点から見るのに 本当に 言ったら悪いが・・・面白かった!!
戦争の話をする時は いつも苦い顔をしていた 父も これを吹き込んだテープだけは 大笑いしながら聞いていたものだ。
いずれにしても 親が無事に生きて戻らなかったら 私も友人もこの世に居なかったワケだし・・・
生きて帰ってくれて 嬉しいです。 今更ですが・・・