友達との1泊2日の旅から帰って来ました。
ちょっと風邪気味のせいもあるけれど、心のどこかにとても疲れが残っている今回のワタシ。
これは自分の気持ちの問題なんだけど、<出す・出さない>のお金のやり取りに ちょっと疲れた自分がいる。
小さく重なっていた負担感が 最後に新幹線に乗った時にプチンと弾けた。
昔 そんな映画のシーンがあったな。
橋から落ちかけて 危うくバランスを保っていた車に アホウドリが止まったわずかな(?)重みで バランスが崩れて落下する場面。 こんな感じか^^
新幹線に乗る前に 友人がコンビニでお茶を買ってくれた。多分120円そこら。
『 ありがとう。 払うね』と言ったら、友人が 真顔以上に 怒っているように見える顔で 『これくらいイイから。本当に気にせんといて!』 と言った。
その剣幕にちょっと驚き 傷つきもし・・・これが まさにアホウドリでした。
今回の旅は 友人がネットで知り合った人と会う為の オフ会の様なもの。
一緒に行って欲しいと言われたので OKしたもの。
友人は 自分が頼んだ旅で 新幹線代など私に負担を掛けているという思いがあるからだろう。 何かにつけて 『私が出す』と言う。
だから 宿代・温泉でのマッサージ・夕食など しめて15000円程は 好意に甘える事にした。
正直言えば 夕食くらいで良かったのだけれど。
出してくれると判っていたら 多分マッサージは頼まなかったと思う。
自分が払うと思うから 好きなモノ・したい事を注文できる。
この辺りから 自分の中で負担感が増え始めてきた。
どんな小さな事でも 『払うね』 『コレはいいよ』と言われたら 素直に『有難う』と受けるけれど、 最初から黙って受け取るのは 向いていない。 (たまには言い忘れてる事もあるけれど・・・(^^ゞ )
だから 例え120円のお茶でも 『払うね』 『気にしないで』と言われたら 『戴きます』で済んだものを・・・どうしてあそこまでのリアクションだったのか。
友人の負担感と私の負担感のバランスは あの辺が拮抗点だったのかも。
ネットで知り合った友人が本当に親切にいろいろ私たちを案内してくれた。
必然的に 行く先々で支払いの機会がある。
お茶代・駐車場代・入場券代。
先方は もてなしてくれる気持ちで 懐石のお昼も ケーキ付きのお茶も 駐車場代も払ってくれる。 この辺は友人とそのネット友達の バランス。
友人が 『ありがとう』と言えば 私だけ払う事も出来ないので 『ごっつぁんです』になる。
かと言って いつまでも影法師の様にくっついて2倍払わせるワケにもいかない。
一度だけ 入場券代を 先に払った。 それでも他の所よりは安かったのだけれど。
この辺から 友人が俄然 払う事に 熱心(?)になった。
駐車場から出る時も 計算して5~600百円だからと 私はサッサとその方の車に乗り込んでしまったが、友人はパーキング出口の機械の所で待っていようとした。
友人も その方への負担感・連れて来た私が払った負担感・・・そんなモノが積み重なっていたのかも知れない。
それが 120円のお茶でバランスが毀れたのかも・・・
友人とだけなら<共通財布>を作って 出す出さないの問題は無かったけれど、今回は そういうコトが出来ない関係だったので 疲れが残ってしまった。
お金の問題だけでは無い。 してもらった事が重なってくると <ありがとう>の形容詞が 増えてくる。
<ありがとう> ⇒ <いつもありがとう> ⇒ <本当にありがとう>
それが途中から
<ゴメンね>⇒ <いつもゴメンね> ⇒ <こんなにしてもらって申し訳ない>
あ~~~~!!疲れた! 頼むから 自分の分は払わせて!!!!!