当時の、町の様子
挙母の町には、兄が挙母小学校1年生を終えるまで住んでいました。 バスの通る広い道路も、まだ、舗装はされていなっかたように記憶しています。 当時の主だった道路は、汽車の駅前から矢作川方向へ伸びる駅前道路と、トヨタ自動車の工場方面から猿投方面へ向かう広い道路の2本だったように思います。 商店が沢山集まっていたのは、挙母神社前のアーケード街と汽車の駅前からやや、北にかけての一帯でした。 駅の西側は、田んぼばかりで、その中にポツンと飲食店の集落があったのが子供の目にも不思議な光景でした。 駅の南側から西の方には、昔からの民家が今の田舎の集落風に続いていたように思います。 バスの駅から、矢作川を背にする東側の一帯は、堤防近くまで畑が続き、その先は、一面、雑草と、笹や竹林でした。 バスの乗降場は、日通の貨物の集配場所も兼ねていましたので、大きなトラックもしょっちゅう出入りし、その作業に携わる人々で横にある売店はいつも大賑わいでした。 また、記憶の端っこで、定かではありませんが、当時の道路事情のレベルが低く、バスやトラックもよく道路から脱線転覆をしていたようで、「どこどこの路肩は危ない」とか[夜は特に気を付けないと危ない]などの運転手さんたちの会話も耳に残っています。 今日はここまで、オリジナル を追及する アンクリエイト052-971-0075