qui est-ce que je suis? -40ページ目

「人生はこんなもの」の「こんなもの」って?

「人生はこんなもの」



よく耳にする。


でも私この言葉、すごく嫌い。


あきらめてる感じがするし、

納得しなさい、って言われてる気がする。

親もおじいちゃんおばあちゃんも、

「仕事は楽しくないのがあたりまえなんだから、そういうものなの」

ってよく言う。


私より年齢がちょっと上の社会人の先輩も、

「仕事もそこそこ、ある程度の年齢になったら結婚して、っていうのが

 ふつうだよね。そんなもんだよね。」

って言ったりする。



私も実際、


高校1年時に


「人は孤独で、永遠に変わらないものなんてひとつもない。

 誰も信じないし、愛されることもない。」


って青春らしい絶望に浸ってみたり、


社会人になっても


「どうせ幸せにもお金持ちにもならないこのままの感じがずっと続くんだ」


と漠然と感じたりしていていて。


自分が過度に期待しすぎなのか、と思う一方で、

やっぱり「幸せだ!」と感じる瞬間を追い求めていたかった。



そんなやさぐれた高校時代やまとまりかけた社会人1年生を経て今は、

180度逆の方向を向いていて、


180度ちがうことを思ってる。




それは別のエントリーでとりあげるとして・・・



そんな風に


「人生はこうあるべき」


というものを無意識のうちに描いていないかい?という問いかけ。


これは、私が私にした問いかけ。



いわゆる“ふつう”といわれるようなライフプランを。



大学に行って、就職して、3年ぐらい働いて、結婚して、子どもは2人で…



というような。



私はわりと反骨心の強い子どもだったから、


親に「みんなそうなの」とか言われると


「みんなってなに!」って反発したり、


「ふつうはそうなの」って言われると、


「ふつうって誰が決めたの!」ってくってかかったりしていて。


今でもすごくそれを思う。


だれのふつう?だれが決めたふつう?だれのためのふつう?


って。



それが 安心 を呼ぶための“暗黙の了解”であるならば、

そういう風に機能しているんだったら、


それはそれでいいと思うの。



でも私みたいにきっと満足できない人もいる。と思う。



100人いれば100通りの人生があって、


それ自体には 成功 も 失敗 もない。


何を持って 成功 だとか 失敗 だとか定義するか、っていったら、


あるのは「成功だ」「失敗した」と判断する価値観だけ。


で、その価値観は結局、個々人に依拠するはずだから。




高校を出て大工になり天職を感じて誇りを持っている人や、


19歳で結婚し24歳で2児の父となっている元・遊び人で今は親ばかの男の子や、


誰もが知っている大学を出て大手有名企業に勤めながら1ヶ月で辞め鬱になってしまった人もいる。



どの人生も、


正しい とか 普通 とか、


そういう判断する対象ではないよね。



自分でどう定義するか、というその一点のみ。


ただ、日本社会がそういう風にできてないんじゃないかなーとは

自分自身の経験をもってして実感する。


次はその経験をちょっと掘り下げてみよう。