懐かしのジュークボックス 10 <<ナンシー・シナトラ>> | あんちんのブログ

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ミュージックス福岡より届いたばかりのナンシー・シナトラのレコード (タイトル LIKE IDO) を中心に紹介します。 ナンシー初期の作品を集めたアルバムとなっており、国内盤「ナンシー・シナトラ・ベスト」 、 オーストラリアのオールディーズ専門 レーベル<Raven>の 「Libhtning‘s Girl」 とは、一曲しかダブらない選曲にな ってます。 このアルバムの目玉は、デビュー曲「カフスボタンとネクタイピン」と「 映画「スピードウェイ」で共演したエルビス・プレスリーと歌っている<THERE AIN’T NOTHIN‘ LIKE A SONG>(後半、ほんの僅かのデュエットです) が収められていること です。

 

さて、ナンシー・シナトラの経歴ですが、

1940年6月8日、ニュージャージー州ジャージーシティ生まれ

1961年、父シナトラのニューレコード会社<リプリーズレコード>と契約。 デビュー曲「カフスボタンとネクタイピン」は、シナトラの娘ということで話題を 集めるが、 チャートには登らなかった。 米国チャート登場は65年の「ソー・ロング ベイブ」 を待たなければならなかったが、その間、日本、イタリア、南アで成功を 収めた。62年秋カバーでヒットした (さて、誰が歌っていたのだっけ) レモンの キッス」はご承知の通り、日本での大ヒットでした。

つづいて、「イチゴの片想い」 「リンゴのためいき」 (この曲は聞いたことがありませんが、誰か知ってますか?)と、フルーツシリーズが続きました。

 

1965年、 ナンシーはリー・ヘイゼルウッドのプロデュースによる斬新なアレンジ の曲を持ってヒットチャートに踊り出るのです。 歌のスタイルを一変し、 女豹を思わせる攻撃的な雰囲気と、ドスの効いた非常に魅力的な低音で、 我等若き日の少年をしびれさせてくれたものでした。 なかでもズンズンッ、ズンツツ、ズンという 印象的なベースラインで始まる「にくい貴方」は、大ヒットでした。2番煎じの感じ はしますが、 「冷たい愛情」もこういった雰囲気で楽しめます。

ホワイトロングブーツをはいて、挑発的な眼差しのナンシーはいつ見ても魅力的です。 1967年、プロデューサーのリー・ヘイゼルウッドとデュエット曲「サマー・ワイ ン」「ジャクソン」等を発表。 ナンシーの高音(といっても低いが)とリーの重低音といった感じの声が大変良くマッチして本当に素敵な歌になっています。

また同年、父、シナトラとのデュエット曲も発表、 このナンバーワンヒット<恋のひ とこと>は、ナンシーが低音のパートを受け持っているのですね。 改めて聞いてみて ほんとうに低い声なのがわかりました。

 

その他印象に残る曲はマリアンヌ・フェイスフルの歌っていた 「リトル・バード」の カバーは良いですね。 曲がいいからなのかも知れませんが。 「バンバン」はトレモロ ギターの伴奏で、殆どモノローグのような歌い方で聞かせます。 「シュガー・タウン は恋の町」 はめずらしく軽く明るい曲調です。

 

以上ざっと年代順に追ってみましたが、 彼女の成功は、親の七光が無かったとはいい ませんが、彼女の天性のものと恵まれたスタッフによって自力で勝ち得たものと言ってよいでしょう。

 

 

ビルボードチャート  ヒット曲名

1965                 No86    ソーロングベイブ SO LONG BABE

1966/02/26       No01    にくい貴方THESE BOOTS ARE MADE FOR WALKIN’

1966                 N007    HOW DOES THAT GRAB YOU DARLIN‘ ?

1967                 No05    シュガー・タウンは恋の町 SUGAR TOWN

1967/04/15       No01    恋のひとことSOMETHIN‘ STUPID (With F.Sinatra)

 

PS. ナンシーと数々の曲でデュエットしている、リー・ヘイゼルウッドはポップス 史にはかなり重要なところで登場している人物です。 彼については、この関連 発言でアップしておきます。

 

                 ロカビリパパ