懐かしのジュークボックス 9 <<コニー・フランシス>> | あんちんのブログ

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【コニー・フランシス】 の巻

 

1938年 ニュージャージー州ニューアーク生まれ。

1954年 MGMレコードと契約。

1955年デビュー曲 「フレディー」は不発。

1957年「フーズ・ソリー・ナウ」が大ヒット。

 

ビルボードチャートヒット曲名

1958                 No04    WHO‘S SORRY NOW

1960/06/27       No01    EVERYBODY‘S SOMEBODY’S FOOL

1960/09/26       No01    マイハート(MY HEART HAS A MIND OF ITS OWN)

1962/03/31     No01     泣かせないでね (DON‘T BREAK THE HEART THAT LOVES YOU)

 

1954年にMGMレコードと契約したコニーは出す曲出す曲いずれも鳴かず飛ばず で、これを最後に大学に戻ろうと覚悟してのシングルが、 「フーズ・ソリー・ナウ」 でした。 1923年の古いスタンダード曲をロッカ・バラードに仕立てたのは、娘の才能を信じて疑わなかった、父親の助言であったといいますから、いつどのようにし て、ヒットが生まれるか分からないものです。

 

それ以降のコニーは順風満帆で次々とヒット曲を飛ばし大スター街道を爆進したので す。 1969年までに放ったヒットが55曲、 内16曲をベストテン内に送り込んだ のですから、いかに並はずれた歌手であったかが分かると思います。

彼女の成功のひとつに、ヒット曲を各国語で流暢に歌ったことが上げられます。

日本では、「大人になりたい」「可愛いベイビー」 「夢のデイト」などがそれに当り ます。40才前後の人は好き嫌いにかかわらず、 コニーのオリジナルや、 中尾ミエの カバーを聞いていて、メロディーはすぐに口ずさめるのではないかと思います。

 

当時の歌手が成功すると映画に進出するパターンは、 コニーも例外ではなく、 MGM 映画「ボーイ・ハント」 (1961年) 「渚のデイト」「ハートでキッス」に出演、 同名の主題歌を発表しています。 小柄でいくらかグラマラスなコニーの水着姿がよく ジャケットやプロマイドで出ていましたね。

 

ビルボードNo1ヒットを見ますと、日本ではあまり馴染みの無い曲ばかりですね。 日本では、初ヒットになった「カラーに口紅」、「間抜けなキューピット」 「ボーイ ・ハント」「夢のデイト」「可愛いベイビー」 「ヴァケーション」 辺りがよく知られた曲ですね。

 

コニーがヒットパレード界で活躍できたのは1965年までで、その後のコニーには 不幸な出来事が襲います。 なかでも、74年宿泊先のホテルでレイプされたという 事件、81年弟が自宅で殺されるという事件(いずれも私の記憶にありませんが)を 経て、80年後半にはカムバックしたようです。 確か、数年前日本にも来て、 ディナ ーショウを開いたように記憶してますが。

 

今日届いた、ミュージックス福岡の情報によりますと、国内盤でコニーの再編アルバ ムが一挙5点が発売になったとあります。 最近、国内盤は殆どチェックしてませんの で、これは、何とかしなければ(^^;)

関心のある方、レコード店で求められるとおもいます。

 

①    「グレイティスト・ヒッツ」

②    「グレイティスト・ヒッツ日本語バージョン」 25曲

③    「スクリーン・ヒット」 スクリーンミュージックのカバー23曲

④     「カントリー&ウェスタン・ヒッツ」

⑤     「アメリカン・フェヴァリッツ」 ハワイアンとワルツ集

 

 PS.★エピソード

 その1. コロンビア・レコードのミッチ・ミラーは、

    売り込みにいった出版社のルー・レヴィに

    対し、「お金を大事にしたまえ。この娘に

    は何もないよ」 といった

-----ビルボードNo1ヒットより) 0883 CX-

 

その2.

MGMに持ち込んだテープの曲 <フレディ>

が、 偶然? MGM社長ハリー・マイヤーソンの息子と 同名だったことが社長をいたく感激させ、 

息子の 誕生日プレゼントにこの曲を選んだ。

かくして、コニーは16才で、念願のレコードデ

ビューを果たした。

----- (R&Rポップス事典より)
                         ロカビリパパ