いじめの連鎖(1)
朝青龍が優勝した。
世間の注目と自身の体調との戦いを乗り越え、優勝決定戦を戦い抜いての、苦難に打ち勝った末の勝利だった。
翌日のスポニチの一面を見て、僕は思わず微笑んだ。まるで少年のような興奮に満ちた顔でガッツポーズをする朝青龍の姿が、そこにはあった。
ああ、しんどかったんやろな。
僕は改めて、初場所が横綱にとって険しい道のりであったんだなあとひとりごちた。それをはねのけた強靱な精神力に感服した。
が、である。
このバンザイがどうもだめだそうだ。
横審の苦言を受けて、武蔵川理事長が高砂親方に厳重に注意をした。ガッツポーズは横綱にふさわしくない行動だそうで、マスコミによると、「次やったら大変なことになると言い渡した」らしい。
バンザイして怒られる。まさにバンザイである。
あの写真、俺はよかったと思うけどなあ。大きな重圧と戦って、勝利をおさめた喜びがとてもよく表れていて、今回の優勝にたどり着くまでの紆余曲折を知らない人の目も引きつける秀逸な作品だと思う。
横綱が土俵の上で臆面もなく喜びを表現してはいけない。そのこと自体、僕は知らなかった。もちろん、伝統と格式の世界だから、そういった暗黙のルールというのはあると思う。でもそれはおそらく角界と一部の相撲ファンの間の常識ではないのだろうか。今回の初場所に魅了された、純粋に相撲を楽しむ不特定多数の人たちには、とりとめて不快と感じさせる事でもないのではないか。
それでも伝統は伝統。そう言われればそうかもしれないし、それを守ることが時に大切であることも、わかっているつもりでいる。
悲しいのは、相撲協会の姿勢。「次やったら大変なことになると言い渡した。」まるで悪いのは本人と親方で、僕たちはむしろ朝青龍の悪行の被害者だと言わんばかりではないか?
それは違う、と僕は思う。
世間の注目と自身の体調との戦いを乗り越え、優勝決定戦を戦い抜いての、苦難に打ち勝った末の勝利だった。
翌日のスポニチの一面を見て、僕は思わず微笑んだ。まるで少年のような興奮に満ちた顔でガッツポーズをする朝青龍の姿が、そこにはあった。
ああ、しんどかったんやろな。
僕は改めて、初場所が横綱にとって険しい道のりであったんだなあとひとりごちた。それをはねのけた強靱な精神力に感服した。
が、である。
このバンザイがどうもだめだそうだ。
横審の苦言を受けて、武蔵川理事長が高砂親方に厳重に注意をした。ガッツポーズは横綱にふさわしくない行動だそうで、マスコミによると、「次やったら大変なことになると言い渡した」らしい。
バンザイして怒られる。まさにバンザイである。
あの写真、俺はよかったと思うけどなあ。大きな重圧と戦って、勝利をおさめた喜びがとてもよく表れていて、今回の優勝にたどり着くまでの紆余曲折を知らない人の目も引きつける秀逸な作品だと思う。
横綱が土俵の上で臆面もなく喜びを表現してはいけない。そのこと自体、僕は知らなかった。もちろん、伝統と格式の世界だから、そういった暗黙のルールというのはあると思う。でもそれはおそらく角界と一部の相撲ファンの間の常識ではないのだろうか。今回の初場所に魅了された、純粋に相撲を楽しむ不特定多数の人たちには、とりとめて不快と感じさせる事でもないのではないか。
それでも伝統は伝統。そう言われればそうかもしれないし、それを守ることが時に大切であることも、わかっているつもりでいる。
悲しいのは、相撲協会の姿勢。「次やったら大変なことになると言い渡した。」まるで悪いのは本人と親方で、僕たちはむしろ朝青龍の悪行の被害者だと言わんばかりではないか?
それは違う、と僕は思う。
がんばれ!朝青龍
平成21年初場所、朝青龍が苦手とされている稀勢の里を寄り切り、豪快に初日を飾った。テレビの中継を見て、思わず小さくガッツポーズしたのは、きっと僕だけではないだろう。
昇格当初、強靱でしなやかな肉体に恵まれ、勝負強さを併せ持った稀代の力士と角界中から絶賛されたモンゴル出身の若きヒーローは、今、相撲人生の瀬戸際に立たされている。きっかけは2007年、けがで巡業を休んでいたときに祖国モンゴルで中田ヒデとサッカーに興じていた映像が一部の日本メディアで流され、問題視された。
その後数ヶ月間をかけて、横綱の風評は地べたにたたき落とされる。マスコミは連日、朝青龍の言動の一部を取り上げ、横綱としての風格に欠けると辛らつに批判した。「その奔放さが角界に風穴を開ける」と評価したメディアが、一転、朝青龍を攻撃し始めた。その流れは、現在も続いている。
いつになったら変わるんだろう?相変わらず続く陰鬱なこのいじめに、僕はうんざりする。
自分の仕事を休んでサッカーに興じたことは、良識に欠けるといわれれば反論の余地はない。しかし、言い換えるならば、ただそれだけのことである。もしその過ちに対する刑罰が、現在まで続くバッシングだとすれば、明らかに過当量刑だと、僕は思う。朝青龍の歯に物着せぬ物言いも、ある種ヒールとしての存在感も、かつて僕たちは愛したではないか?多くの人が、彼の豪快な相撲に魅了され、バラエティー番組での彼の自由な振る舞いに笑みをこぼした。
勢いのあるときには持ち上げて、ひとつケチがついた瞬間に徹底的におとしめる。まるで小学校の集団いじめだ。こんな僕たちの姿勢を、横綱の母国のファンは、どんな思いで見ているんだろう?モンゴルの子供たちは、深く傷ついていないだろうか?朝青龍に対するマスコミの姿勢が、今の日本人の国民性の表れなのだとしたら、僕はとてもさみしい気分になってしまう。
がんばれ!朝青龍。横綱を応援している人はいっぱいいると、僕は信じている。新年早々、毎日夕方の時間に新たな楽しみが増えた。
昇格当初、強靱でしなやかな肉体に恵まれ、勝負強さを併せ持った稀代の力士と角界中から絶賛されたモンゴル出身の若きヒーローは、今、相撲人生の瀬戸際に立たされている。きっかけは2007年、けがで巡業を休んでいたときに祖国モンゴルで中田ヒデとサッカーに興じていた映像が一部の日本メディアで流され、問題視された。
その後数ヶ月間をかけて、横綱の風評は地べたにたたき落とされる。マスコミは連日、朝青龍の言動の一部を取り上げ、横綱としての風格に欠けると辛らつに批判した。「その奔放さが角界に風穴を開ける」と評価したメディアが、一転、朝青龍を攻撃し始めた。その流れは、現在も続いている。
いつになったら変わるんだろう?相変わらず続く陰鬱なこのいじめに、僕はうんざりする。
自分の仕事を休んでサッカーに興じたことは、良識に欠けるといわれれば反論の余地はない。しかし、言い換えるならば、ただそれだけのことである。もしその過ちに対する刑罰が、現在まで続くバッシングだとすれば、明らかに過当量刑だと、僕は思う。朝青龍の歯に物着せぬ物言いも、ある種ヒールとしての存在感も、かつて僕たちは愛したではないか?多くの人が、彼の豪快な相撲に魅了され、バラエティー番組での彼の自由な振る舞いに笑みをこぼした。
勢いのあるときには持ち上げて、ひとつケチがついた瞬間に徹底的におとしめる。まるで小学校の集団いじめだ。こんな僕たちの姿勢を、横綱の母国のファンは、どんな思いで見ているんだろう?モンゴルの子供たちは、深く傷ついていないだろうか?朝青龍に対するマスコミの姿勢が、今の日本人の国民性の表れなのだとしたら、僕はとてもさみしい気分になってしまう。
がんばれ!朝青龍。横綱を応援している人はいっぱいいると、僕は信じている。新年早々、毎日夕方の時間に新たな楽しみが増えた。
蒟蒻畑
少し前になるが、マンナンライフが消費者庁との協議を経て、「蒟蒻畑」の発売を中止した。
ニュースを見て、「えっ?」と思わず声を上げそうになったが、この件に関しては、ネットでもマンナンライフに同情的な意見が噴出している。「署名TV」というオンライン署名サイトでは、「こんにゃく入りゼリーの販売中止に対する反対署名」に2万5千人以上の署名が集まっている。
当たり前である。
そもそもなぜマンナンライフがこれほど攻撃されなければいけなかったのか。問題の幼児が亡くなった事件の直後、マスコミは異口同音に、マンナンライフはさらなる安全対策が必要と論じた。そこに消費者庁が出張ってきて、ついに蒟蒻畑は販売中止に追い込まれた。
大好きだったのになあ、蒟蒻畑。
なんて言っている場合ではない。なぜこんな愚かなことがこの国で起こってしまうんだろう。マスコミの初期対応と、消費者庁の介入に、僕はほとほとうんざりしてしまった。「安全」という印籠を笠に着た第三者が、よってたかって一つの企業に対して弱い者いじめをしている。似たような構図は、亀田兄弟や朝青龍の時もあって、あの時は、「社会人としての・・・・」とか「風格」とかいうのが錦の御旗になっていたなあ。
話がそれた。
マンナンライフは亀田兄弟と朝青龍とは違う。試合中に相手に頭突きもしていないし、仮病を使ってサッカーに興じてもいない。優良な一企業だ。なぜその企業が自社の人気商品の販売中止に追い込まれなくてはならないのか。マスコミはもうどうしようもないとしても、消費者庁までがそれに乗っかっちゃうなんて、アホの極みである。
一説によると、新設の庁のアピールのためであるとか、N議員の選挙戦略であるとか言われているけれど、そんな理由で蒟蒻畑をこの地球上から消し去るなんて、許されるはずがない。こうなったら環境省にお願いして蒟蒻畑を植物版レッドリスト(絶滅危惧種)に指定してもらおう。
今回の騒動の中で少しだけ救われたのは、2チャンネルを含むネット上の意見の大半が、悪いのはマンナンライフではない、とコメントしていることだ。まだまだ日本人、棄てたもんじゃない。
そう、悪いのは企業ではない。
親(保護者)だ。
子供の窒息死が相次ぎ、子供に食べさせないでと明記されている商品を、どうして子供に与えるのか?今回の事件はおばあちゃんがやったことだから、ちょっとしかたないかなあ、などと普段病院でじっちゃんばっちゃんを相手にしている僕は思ったりするのだが、それにしてもである。
ある母親は、こんなもので窒息するとは思わなかった、と目を丸くしたそうだが、確かにその気持ちはわからなくもない。わからなくもないけれど、逆に言えば、ちょっと考えたらわかりそうなこと、でもあるのだ。
それができないと、子供達の安全はとたんに危うくなってしまう。
公園の遊具やシュレッダーの事件。ことあるごとに、国や企業がやりだまにあがり、マスコミに糾弾されてきた。でもそれは違う。自分の子供を守るのは、国や企業じゃない。自分だ。「そんなこともわからんかった親(保護者)が悪い。」昔6人の子供を女手一つで育て上げたうちのばあちゃんは今回の事件をきっぱりと切り捨てた。当たり前のことかも知れないが、彼女が言うと説得力あるなあ、って思う。
たばこを誤嚥した幼児の胃洗浄を行うとき、いやがる子供の手足を、看護師ではなく親たちに押さえさせる小児科医がいる。泣き叫ぶ子供を自分たちで押さえつけるという行為は、親にとってとても悲痛なものであるらしく、以後深く反省して、決してたばこを子供の手の届くところに置かないようになるという。
実際その現場を目撃したことがあるが、父親は口を真一文字に結んで涙をこらえ、母親は「なおちゃんごめんね~。お母さんが悪かった。もう二度としないから。」と我が子の両手を押さえながら泣き叫んでいた。
あまりにも壮絶な光景だったので、ここまでする必要があるのかなあと正直面食らったが、今思えば、子供を育てるというのは、そういうことなのかも知れない。それが、親の責任というものかも知れない。子供を育てるって、大変なことなのだ。
ニュースを見て、「えっ?」と思わず声を上げそうになったが、この件に関しては、ネットでもマンナンライフに同情的な意見が噴出している。「署名TV」というオンライン署名サイトでは、「こんにゃく入りゼリーの販売中止に対する反対署名」に2万5千人以上の署名が集まっている。
当たり前である。
そもそもなぜマンナンライフがこれほど攻撃されなければいけなかったのか。問題の幼児が亡くなった事件の直後、マスコミは異口同音に、マンナンライフはさらなる安全対策が必要と論じた。そこに消費者庁が出張ってきて、ついに蒟蒻畑は販売中止に追い込まれた。
大好きだったのになあ、蒟蒻畑。
なんて言っている場合ではない。なぜこんな愚かなことがこの国で起こってしまうんだろう。マスコミの初期対応と、消費者庁の介入に、僕はほとほとうんざりしてしまった。「安全」という印籠を笠に着た第三者が、よってたかって一つの企業に対して弱い者いじめをしている。似たような構図は、亀田兄弟や朝青龍の時もあって、あの時は、「社会人としての・・・・」とか「風格」とかいうのが錦の御旗になっていたなあ。
話がそれた。
マンナンライフは亀田兄弟と朝青龍とは違う。試合中に相手に頭突きもしていないし、仮病を使ってサッカーに興じてもいない。優良な一企業だ。なぜその企業が自社の人気商品の販売中止に追い込まれなくてはならないのか。マスコミはもうどうしようもないとしても、消費者庁までがそれに乗っかっちゃうなんて、アホの極みである。
一説によると、新設の庁のアピールのためであるとか、N議員の選挙戦略であるとか言われているけれど、そんな理由で蒟蒻畑をこの地球上から消し去るなんて、許されるはずがない。こうなったら環境省にお願いして蒟蒻畑を植物版レッドリスト(絶滅危惧種)に指定してもらおう。
今回の騒動の中で少しだけ救われたのは、2チャンネルを含むネット上の意見の大半が、悪いのはマンナンライフではない、とコメントしていることだ。まだまだ日本人、棄てたもんじゃない。
そう、悪いのは企業ではない。
親(保護者)だ。
子供の窒息死が相次ぎ、子供に食べさせないでと明記されている商品を、どうして子供に与えるのか?今回の事件はおばあちゃんがやったことだから、ちょっとしかたないかなあ、などと普段病院でじっちゃんばっちゃんを相手にしている僕は思ったりするのだが、それにしてもである。
ある母親は、こんなもので窒息するとは思わなかった、と目を丸くしたそうだが、確かにその気持ちはわからなくもない。わからなくもないけれど、逆に言えば、ちょっと考えたらわかりそうなこと、でもあるのだ。
それができないと、子供達の安全はとたんに危うくなってしまう。
公園の遊具やシュレッダーの事件。ことあるごとに、国や企業がやりだまにあがり、マスコミに糾弾されてきた。でもそれは違う。自分の子供を守るのは、国や企業じゃない。自分だ。「そんなこともわからんかった親(保護者)が悪い。」昔6人の子供を女手一つで育て上げたうちのばあちゃんは今回の事件をきっぱりと切り捨てた。当たり前のことかも知れないが、彼女が言うと説得力あるなあ、って思う。
たばこを誤嚥した幼児の胃洗浄を行うとき、いやがる子供の手足を、看護師ではなく親たちに押さえさせる小児科医がいる。泣き叫ぶ子供を自分たちで押さえつけるという行為は、親にとってとても悲痛なものであるらしく、以後深く反省して、決してたばこを子供の手の届くところに置かないようになるという。
実際その現場を目撃したことがあるが、父親は口を真一文字に結んで涙をこらえ、母親は「なおちゃんごめんね~。お母さんが悪かった。もう二度としないから。」と我が子の両手を押さえながら泣き叫んでいた。
あまりにも壮絶な光景だったので、ここまでする必要があるのかなあと正直面食らったが、今思えば、子供を育てるというのは、そういうことなのかも知れない。それが、親の責任というものかも知れない。子供を育てるって、大変なことなのだ。