(こちらをきっかけに考えたこと、その2です)
いくら頑張って話しても
聞く耳を持ってくれない
聞いているフリをしているだけ
好きなように、都合のいいように
話を変えられてしまう
想いが届かないどころか
きっと私の声すら届いていない
私の声は、届かない
この哀しみがずっと、幼いころから
とても奥深いところで根付いていて
どこかで諦めていて
どこかで諦めきれなくて
だから、言葉にこだわって
「伝わるように伝える」チカラが欲しくて
思いつくかぎり、いろいろ勉強して
それでもやっぱり、届かない
諦念、失望、、、そんななかに浸っているのが
もうずっと「当たり前」でした。
☆
こうして言葉にして書いてみると
あぁ、本当はかなりつらかったんだな〜
と自分でも思うのですが。
ふだんは「なにも伝わっていない」と思っても
哀しみどころか怒りすらわかないことがほとんど。
まさに「諦め」尽くしていたんだろうなぁと
あらためて実感しました(^_^;)
ただ、今回、私の「愛情」について
いただいたメッセージをもとに考えると
これまでとは違う見方になってきたんです。
☆
私の「愛」って、私個人の「思い」とは
少し別のところにあったのかも?と。
どうにも希薄で、冷徹で冷酷なところは
むしろ、このままがOK✨だったのかも?
と思うようになってきたのは。
そもそも「思っていること」への誤解があって
それを「これからは口に出していく!」と決めて
じゃ他に伝えたいコトは?と考えてみたら
・・・なにも出てこなかったんですよ(−_−;)
かなり頑張って考えたのに、これっぽっちも!!
そういえば私、すっかり猫を被り馴れていたけど
実態はかなり無気力だったわ〜
何もかもぜんぶ、ホントは面倒くさいもんね( ̄▽ ̄)
・・・いや、半分は冗談ですがw
実際、その時々で思い浮かぶ
伝えたいコトって
人によって
時によって
場によって
まったく違うし、その瞬間瞬間で
変わっていくのが当たり前なので。
一人一人のいま・ココに寄り添っていない
キレイなだけのお題目は意味なくない?
この点はもうハッキリ!自分のなかで
決まっていたのでした。
だから、不変の伝えたいコトはない、と(^ω^)
☆
そして、もちろん現実には
「私の声」が届いていることも多くて。
意図していたとおりの、
いわば計算どおりだったケースをのぞいて
思い返してみると。
自分で言うのも図々しいですが、
本当に何気ない、本人は覚えていない一言が
その方にとっては「何年たっても忘れられず、
よく思い返して指針にしている」とか
想像できないくらい深くまで入っていた
と後から聞いて驚くことが多くて・・・
私が届けたいと思ったことを探して
なんとか届けようとするのではなく、
その方にとって必要なことが自然と
しかも時に縛られることなく届いている
この、これまでの・いまの現実そのものが
理想的なコト✨だったのかも?
☆
届けたいと思って、狙いどおり届いたら
たぶんそれなりの満足感は得られるでしょう
でもそれって微妙・・・私にとっては
'まったくいらないモノ'だよなぁと
だって全然美しくないし〜(爆)
もともと狙ってやっていたことではないし
そもそも狙ってできるとも思えないけれど
どうしたって、テーマとしての
伝えたいコトは思い浮かばないし、
それでもなんとか探してココに取り組もう!
という気も、残念ながら起きないのです。。。
だから余計に。
「思っていること」=「私のなかに浮かんでいる言葉」を
ただそのまま口に出すだけでいい
というのは、とても怖いのと同時に
すごく気持ちがラクにもなって。
何を伝えるかとか
どう届けるかとか
目の前に来たこと以外は、とりあえず保留で
なにかを伝えよう!と頑張らなくていいし
しっかりと届けよう!と頑張らなくていい
こんな「いま、ココ」は
なかなか心地よい♡です(*^^*)
(その3へ続く〜)