なにかを大事にする
ということは、
別の・他のなにかは
大事にしないということ
なにかを選べば、
別の・他のなにかは選ばれない。
たしかに、そういう面も
あるにはあるけれど。
だからと言って、
別の・他のなにかを
否定しているわけじゃない。
それに、
言葉の裏に、かくれた意味とかが
あるとはかぎらない
ここは絶対に!
早合点しないことが
大事だよなぁと思うのです。
☆
いつも「裏」がないかどうか
自然と探したり組み立てたり
一を聞いただけで、すぐに勝手な解釈で
ひっくり返したり変換してしまう
もし、たいして必要のないところでも
常にこういったスタンスでいるとしたら。
「裏まで見通せる洞察力がある」とか
「応用力がある」とかとは違って。
思考の「クセ」なのかな?ちょっと怖いかも…
と思うことがあります。
たとえば、安易なたとえですが
「りんごが好きです」が
すなわち
「りんごが一番好きです」には
「りんご以外は嫌いです」には
ならないのに。
なんだろう・・・推測変換?
まるで噂に尾ひれがついていくように
たったひとりのなかであっても
受け取った瞬間にズレて、ねじって、
無闇に膨らんでいったりして。
冷静に突き放して考えてみれば、
「そこまでは言っていない」ことも
多いんですけどねぇ。。。
誰も言っていないし、
意図もしていないことで、
誤解が生まれて大きく育ってしまったりしていると。
・・・なぜこうなった( ̄◇ ̄;)と、
正直、どこからどう手をつけていいやらわからず。。。
自分に対しても
他人に対しても
ゲンナリ・ぐったりすると同時に、
ゾッとしてしまうこともあります(^_^;)
☆
裏になにか、かくれているモノが
あるのかもしれない
もしかしたら、過去の経験からくる
防衛本能とかなのかもしれないけれど。
自分のこととして考えてみれば、
この前提って、いまの私にいるモノ?(・・?)
ここを押さえるチャンスだな、と。
モノゴトの裏ばっかりが気になってしまうとき
自分が裏(と思うモノ)に引きずられてしまうとき
こういったときは
「シンプルに受け取れなくなっている」状態で。
あまり健全とは言えない、
場合によっては狂気をはらむ可能性すらあると、
自分のなかで「警鐘が鳴っている」状態なんだと思って。
自分に対しても
他人に対しても
まっすぐでクリアでいられるように
なるべく気をつけて、
できるだけ「いまの私」で整理しなおす
ようにしています(*^^*)