BULLETS OVER BROADWAY


1994 アメリカ


監督 : ウディ・アレン

出演 : ジョン・キューザック ダイアン・ウィースト ジェニファー・ティリー

配給 : アスミック


20年代のブロードウェイ。ギャングの親分に自分の情婦を舞台に出せと脅されたり、主演女優のワガママに振り回されたりしながらも、上演を目指す新人作家の激動の日々を、ウディ・アレン監督が笑いたっぷりにつづっていく。


「アーティスト」という言葉は、偉大にみえて意外と薄っぺらい。


人は、それを守り抜くために神経をすり減らし、悩み、戸惑う。


「おれの作品」と、何度も何度も繰り返す。


「芸術」という言葉に支配されていく人たち。


それを守り抜くためにはどんなに残酷なことにも手を染め、自滅していく。


「芸術」って?

今ここで私が1分で最高にお気に入りの絵をかき上げ、誰一人見せることなく引き出しにしまっても、これは私にとっての立派な「芸術」。

「芸術」にお金や名声がなだれこむと、何かが狂っていく。画家のバスキアみたく。


「僕はアーティストじゃない!

そして僕は君を愛している!」


そう叫び、最高の笑顔とともにブロードウェィから抜け出そうとする主人公の姿にわくわくした。


華やかさにひそむ闇世界。



イノセントボイス


2004 メキシコ

配給 : アルバトロス

監督 : ルイス・マンドーキ
出演 : カルロス・パディジャ、レオノア・バレラ、ホセ・マリア・ヤスピク


1980年代、激しい内戦下の中米エルサルバドルで少年時代を過ごした青年が、13歳で亡命するまでの実体験を綴った真実の物語。政府は12歳からの徴兵制度を掲げられる。女性は突然さらわれ 慰安婦にされる。授業中にも夜中にも容赦なく銃撃線が始まる内戦下にあった国の生活がリアルに映し出される。


今まで世界の一部を切り取ったところしかみていなかった。

それで なんとなく分かった気になってた。

ほんと 情けない。


誕生日を素直に喜べない子供がいるなんて。


優しさをささげたばっかりに 痛めつけられる世界があるなんて。


そんな中でも 笑いを忘れない姿に泣けてくる。


私と この子達とは一体何が違うのだろう。

ただ生まれ落ちた場所がずれていただけ。

それなのに、こんなにも違うのっておかしくないだろうか。


子供の目線からみた世界だからこそ、心がつぶれそうなくらいに痛々しさが伝わってくる。

そして、わが子を愛するお母さんの尊い気持ちも。

少年達の悲しみを通り越した 突き刺すような眼差しが頭から離れない。


ただ泣くだけのために観てもらいたくない。

真実を知りたい人に 観てもらいたい。


現在でも世界で30万人以上の子どもが「兵士」として戦場へ送られている現実・・


巴里の屋根の下


1930 フランス

古き良きパリの下町を舞台に、街頭歌手アルベールとルーマニア娘ポーラの物語。ルネ・クレール監督によるトーキー(しゃべる映画)初作品。

やっと歯の痛さから逃れられて 大きなハンバーガーにかじりつく。

卒業と同時に ぐるぐるのパーマをめいっぱいかける。


ずっと出来なかったことを許されたとき、反動してはじけた覚えはたくさんある。

アメリカで生まれた初めてしゃべった映画は、ミュージカルだったし。

そんな中、ルネ・クレールはサイレントのよさを突き放すように見捨てたりしなかった。

言葉は少なめ。表情で語る。

時間の経過は 言葉を借りることなく、花の枯れ具合で伝える。

味気ない言葉よりも、ずっとずっと思いが伝わってくる。

しゃべることを主役にせずに、せつないシャンソンの響きをひき立てるがための編集のしかた。

魅力的なビーズをたくさんもらったとき、全部を使い尽くしてネックレスをつくることなどせずに、特等席の真ん中にだけ通してみた感じ。


新しい服を買ったなら今すぐにでもそればっかり着たくなる私にとって、

ルネ・クレールの考え方は新鮮で、とても魅力的に思えた。


ただ、ストーリー自体はいまひとつ。


小松さん


イマージュのライヴにいってきました。


しびれたー

音ももちろんだけれど

演奏家の顔に!


中でも小松亮太さん。

アコーディオンとはひと味もふた味も違うバンドネオンを まるで自分の一部のようにあやつり音楽をつくりあげていく。

ぎゅっと目をつむって奏でる姿は

何かが乗り移ったようにみえるし

壊れ物を拾って抱きしめているようにもみえるし

誰かとダンスしてるようにもみえるし


こんなにもぞくぞくするのは きっとうそのない顔だからなのだろうなー



はなればなれに


1964 フランス


「勝手にしやがれ」の続編とゴダールが言い、「気狂いピエロ」の前編と人が呼ぶ、幻の傑作。


監督 ジャン・リュック・ゴダール

出演 アンナ・カリーナ サミー・フレイ クロード・プラッスール

音楽 ミシェル・ルグラン



誰もが絶対もってる 「わるだくみ」 を、かっこ悪いんだけども とびきりかわいく詰め込んだような作品。



つかみどころのない アンナ演じるオディールを中心に、物語がぐるぐる回っていく。


「9分45秒、全力疾走でルーブル美術館制覇!」


とか、


「1分間だんまりのゲームしよう。」



とか、


何やってるんだーと こばかにしながらも、心の中ではわくわくしてしょうがない!


妙にシュールだったり、ひりひりしたり・・


チャップリンへの愛を感じるコッペパンダンスの裏に漂う哀愁。


おちこぼれ組の一員として、大いに共感できます。


ゴダールは「嫌いな作品」というけれど、私のお気に入り。



Misko Plavi


ミシュコプラヴィ というアコーディオンを弾く人のライヴにいってきました。


私の中の、長いこと眠ってたいくつもの細胞がはじけた気分・・!

沸騰直前のゆで卵みたいに落ちつかないし、わくわくする。


独特な世界を生み出す彼の手は 眼で追いつけない位にはやい。

猫が壁をひっかっいてるようにみえたり

大切なひとにそっと触れるみたいにみえたり

誰かの頭をなでてるようにみえたり


終演後、みんなの瞳がきらきらしてた。


北京ヴァイオリン


2002 中国

監督 チェン・カイコー

出演 タウ・ユン リウ・ペイチー

配給 シネカノン


ある中国の田舎町。息子を一流のヴァイオリニストにする事を夢見て全てを捧げる貧しい父と、父を愛しながらも顔も知らない母の面影を追い求める13歳の少年が住んでいた。少年は母の形見のヴァイオリンを弾くのが得意だった。二人はコンクールに出場するために北京へ行き、そこで著名な先生の個人指導を受ける事になり、北京で暮らし始める。


ほんわかしてて、これ見よがし!すぎてなくて、よかった。


私が13歳の時、何を考えてたっけ。ほんとにくだらないことばっかり本気で悩んでた気がする・・

小さい頃に、こんなにも重たくて辛い人生の決断を経験をした子は、きっと芯の強い大人に育っていくんだろうなぁ。

なんとなく、この国は決断を迫られないですむ生活に浸ってるような。少なくとも多くの恵まれた人たちは、幼稚園から大学、専門のレールに綺麗にのっかっていくのだし。

でも、それ以外のレールもいっぱいあるのにね。別にレールの上じゃなくてもいいのにね。


自分のために、これからのことを、しっかりと決断する。簡単に出来そうでなかなか出来ないもの。


生ぬるい世界にいりびたってちゃだめだ!


今にも泣き出しそうなお父さんの顔を思い出すたび、自分の親にも優しくなる。

RENT


2005 アメリカ


限りなくつづく真っ暗闇の中で、きらっと光る確かなものをつかんだ気分。


自分が日本人であることとか、21世紀の人間であることか、女であることとか、ぜーんぶ飛び越えて とってもシンプルで温かい気持ちにしてくれた。


これから1年をどうやって数えよう。 526000分でどんなことができるかな。


ぴりぴりとするきらきらとする最高の音楽につつまれ、心から感銘を受けた。


何か大事なことを伝えたかったとき、音楽がいちばんぴったりだったのだろう。


ジョナサンありがとう。


また観たい。何度も観たい。


突然炎のごとく


1961 フランス

自由奔放なヒロインを中心に、複雑な三角関係を描いた名作。

監督 フランソワ・トリュフォー

出演 ジャンヌ・モロー オスカー・ベルナー アンリ・セール


思いのまま。


という言葉が真っ先に浮かんだ映画。

それは、絶妙な撮り方、気まぐれでいて意味深なセリフ、ジャンヌモロー演じるカトリーヌのすることなすこと全部!



「前はこうだった」 「今はこう」 

笑った瞬間、写真みたいに映像がとまる。 ああ、こういう伝え方もありだ と妙に納得してしまった。今でもあの瞬間は忘れられない。



自分の直感を軸に生きていくのってすてきだな。

自分が男か女かなんか問題外。ただ少年のように駆け回りたいから、でかくてぼろぼろなキャスケットかぶって口ひげ書いて、堂々と歩き回る。



厳しく言えば、彼らは社会に適応できない常識知らずなのかもしれない。

欲をほしいままにしているだけの世間知らずなのかもしれない。

でも、人の目を気にせず、自分たちだけのオアシスをつくっちゃってるところに強く惹かれた。



「私達はみんなからバカの3人組といわれているの。」

「じゃあ、 バカのゲームしよう!」



置かれている状況に対して、悲しむか、楽しむかで、人生かわっていくんだろうな。

最後のシーンについても同じこと。

ひなぎく


チェコな気分なので、ダブルチェコということで これ。


1966 チェコスロヴァキア

監督   ヴェラ・ヒティロヴァー

出演  イヴァナ・カルバノヴァー/イトカ・チェルホヴァー

配給  イメージフォーラム

政治的な理由から発禁処分をうけて政府からにらまれ、7年間活動停止されたしまったのだそうな。


「幻の60年代、女のこ映画の決定版!」


ふーん そう。 なんかやすっぽいコピーだな 

と思いつつも、やっぱ女のこでありたいし、冷めた眼をした二人の写真に惹かれたので、家につれて帰った。


観はじめてみて・・・ あいた口がふさがらない!

映画でこんなに遠出をした気分になったのは生まれて初めて。外国とかを飛び越えた、よく分からない世界!

音楽・セリフ・編集・映像の全てが絶妙に組み合わさって、科学反応をおこしているみたいだ。

このうちのどれかひとつをおかずにしても、おいしく戴けちゃうくらい。


 音楽は生き物みたい。

効果音でもないし、日常的な雑音でもないけども、CDで何度も楽しむ音でもない。今にも動き出したくなるチャールストン。


 セリフは詩集みたい。

「男は 愛してる って言う以外に、どうして 卵 って言えないの?」

「ベストをつくせたら出直すことが出来るの?」

「誰も私たちに気がつかないわ」 「どうして?」 「私たちはいないのかしら」

「燃えてるのよ!」


 映像は玉手箱みたい。

自由気ままなコラージュのようにカラフルな世界。

踊りたくなる。寝たくなる。出かけたくなる。燃やしたくなる。


 編集はお絵かきみたい。

顔から下を、思い切ってぶつ切りしちゃう。

蝶々が飛び回るように映像が舞う。


どれもこれもすてがたい。

それでもやっぱり、このうちのどれかひとつじゃなくて、全部をひっくるめて味わうべき映画なのだと思う。

それなのに、この映画はあまりにも勘違いされ、消費されているやるせなさを感じてならない。

確かに、彼女たちみたいなワンピースを着たくなったけど。布団に芝生をのせたくなったけど。

でも、それだけじゃないんだってば!


悲しくてしょうがないとき、この映画を観る。

何もする気が起きないとき、この映画を観る。

エネルギーがありあまってるとき、この映画を観る。

うれしいときも、やっぱりみちゃう。


毎回、なんともいえない気持ちに仕上げてくれる。

違うのはさいごのメッセージに対する自分なりの答えだけ。