☆ 建築士事務所主催者の想い ☆ -3ページ目

不動産業界の方はビックリ・・・

他業種・建築設計分野の人には決して理解出来ないでしょう・・・

日経新聞をチェックしていて目が点になってしまった。 日経新聞3/4電子版から一部抜粋:「ソフトバンクグループ傘下のZホールディングス(ZHD)が、インド新興ホテル大手のOYO(オヨ)ホテルズアンドホームズと日本で共同で展開していた不動産賃貸会社の保有全株を、オヨに339円で売却していたことが、4日までに分かった。」 抜粋終了 文章にすれば1行で済みますが、「83億円が1年で339円って・・・」

つい先日も、WeWork(ウィーワーク)の件で、最大株主のソフトバンクグループの孫さんさんがジャンク債の発行を検討とか、その計画が投資家のサポートを受けられなかったとか、、、 色々な話がニュースになっていましたね。

これに合わせ、日経の記事にある「OYO(オヨ)ホテルズアンドホームズとの共同展開事業」がこのように成ってしまう訳ですから不動産投資事業は、実に難しい事業であることは明白です。 不動産開発はある意味シンプルな構造で、老舗専門大会社が行って大きな利益を生む事業になる場合もあるわけですが、長時間建築業界を拝見してきた筆者からすると、他業種からの参入はギャンブルにしか見えないわけです。 

一つ歯車が狂い始めますと、転落するスピードに重力加速度が付いたように歯止めがきかなくなって操作不能になってしまいがちです。 莫大な資金を将来の見込み予測で短期間に投入するわけですから失敗したときの傷も浅く済むはずがありません。

筆者も、大きな利益取得を見込んで異業種から不動産開発及びこれに関連する事業に新規参入した会社さんを数多く見てきましたが、新規参入組で現在も継続的に上手くいっている会社の存続を確認する事はありません。

明るいニュースでは在りませんが、業界も今後大きく動きそうな気配です・・・・

 

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最近通勤や移動が楽になったと思いませんか ??

ちょっと不謹慎な発言かも知れませんが・・・

最近通勤で電車に乗っても、打ち合わせに出席するためオフィス街&繁華街を歩いていても人が少ないため非常に歩きやすくなったと感じるんです。 つい去年の年末までは、スマホと睨めっこしながら歩いている若い人や、世間話に熱中しながら団体で歩いている中高年の女性の方達とぶつからないように目的地に向かって歩くのが困難なほど街が混み合っていましたが、最近は通行に程良いスペースがあり快適に歩くことが出来ます。

電車やバスは、学校に通う学生(生徒)さんの姿が減って、ビジネスTIMEの移動時間中でも座席に座れる等という筆者にとっては驚くほどの状況が続いています。 これらも新型肺炎ウイルス(コロナ)の影響だと思うのですが、会社に戻れば女性社員の口からは「マスクが買えない」「ティッシュペーパーが買えない」「トイレットペーパーが買えない」などの話が乱れ飛び、驚いたことに事務所のトイレのドアに「トイレットペーパーの使用量は1回60センチまで!」等という張り紙まで目にするようになりました・・・・


笑っている場合ではありませんが、TVニュース等では「ペーパー類の供給量は充分足りているから買い占める必要はありません」と連日報道されているが、現実は噂やデマに踊らされやすい日本人ならではの縮図がココに現れているのでしょう。

これは、外国の投資家に比べて、噂や憶測に対しヒステリックに株価などに対応する日本人特有の行動と同じなのでは無いでしょうか?? 

今一番大切なのは、何事にもまず落ち着いて考え慎重に対応する事ですね。

 

 

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新築マンション販売の活性が止まった・・・

 

マンション業界関係者は景気持続否定派と肯定派に別れるが・・・

 

建築設計事務所を運営し、建設業界にいると、否応なく俗に言う「マンション業界」の情報がひっきりなしに飛び込んでくる。 通常季節的にマンション業界は、通常1月から2月に掛けて需要期(繁忙期)である事は誰でも知っている。

 

これは、新社会人として巣立っていく子弟の独立に向けた住み替え、購入者の転勤、子弟の入学進学である4月1日に向けてのいわゆる新築・中古を含めた購入者が1年の内で一番多い季節であると言えるでしょう。  マンション販売会社のHP広告を拝見するだけで無く、中古案件の値動きに注視していると現在のそれぞれの地域における相場や、業者による強引な価格設定、該当地区における値引き状況などが自ずと見えてくるから、本来の不動産評価専門家に驚かれる事態もしばしば発生する。

 

余りに、同じ質問を受けるので試しにYouTubeで紹介してみたら「見ましたよ!」「モット詳しく聞きたい!」「伺っても宜しいですか?」などとちょっと本業から離れたミーティングをする機会が最近増えてきた。 オリンピック後のマンション価格を聞かれることまであり、筆者は「占い師ではありませんよ」と前置きをしながら自身が調査した結果や予想を交えて解説する事がある。

 

特筆すべきは、中国からの富裕層による投資を睨んだ不動産転売ビジネスを考えている方が意外に多いことです。  そんな相談を受けたとき、一番初めにお話しするのが「中国人の富裕層の多くは、日本における不動産ビジネスの中心を中国人同士の不動産マーケットで流通させることが多く、日本人がそれを当て込んで進出しても赤子の手を捻られる様に散々な目に遭うことが多いですね」と一度だけ忠告する事にしている。

 

筆者も、散々な目に遭った日本人不動産バイヤーを何名も見てきました。 特に東日本大震災の経験を基に思い出してみると、大震災直後は、マンション販売広告の発注、モデルルームの運営等が、長い案件では1年近くも止まったことを記憶しています。 現在の問題である「新型コロナウイルス問題」→「オリンピックの影響」→「購買意欲の減退」が何処までになるかを占う事は出来ませんが、相当な事態になることは想像が付きます。

 

阪神大震災は阪神地方が中心で、東日本大震災は主に東北地方が中心。 しかし今回の「新型コロナウイルス」問題は、日本全国だけで無く世界的な問題となっていることから考えても影響が小さいと見るには難があるでしょう・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

景気に影響は・・・

 

連日、ニュースは新型コロナウイルスの話題(問題)でいっぱいです。

 

弊社も、海外案件については荒波を受けることになり、特に中国関係の案件、東南アジア案件が中断または休止となり、見通しもないまま困惑しています。 製造業の方達はさらにひどいダメージを受けていると聞きますので、とても心配です。

 

日本は、夏にオリンピックの開催を控えており待ったなしの状況です。 このまま中止になったり、来年に延期となった場合、どれほどの損害になるのか想像もつきません。 また、日本及各国の選手の皆さん、関係者の皆さんに与える影響は想像を絶するものがあるでしょう。

 

昨日今日と、政府の要請により全国のイベントや、テーマパークの開催が中止となっており、巷ではデマの情報に踊らされた一般人が、トイレットペーパーやマスク、米、水の大量買に走っていると聞きます。

愉快犯というか、人の不幸に漬け込んで金を儲けようとする輩が多いのも日本の特徴かのかもしれません。

 

昔からこのような浅ましい根性を持った人が多かったのかと悲しくもなります・・・・

 

このウイルス感染が少しでも早く収束する事を心から願う次第です。

 

月日は流れ・・・

 

月日は流れ・・・

 

アメーバブログの更新を休止してから早5年になります。 5年間FB(フェースブック)にて近況などを綴っておりましたが、先日5〜6年振りに旧友から誘われて会食をしている中、彼曰く「いつも楽しく君のブログを見ていたが、更新がなくなって寂しいよ!」とのお世辞とも取れるようなお言葉をいただきました。

 

「FBで近況を知らせているからどんな事をしているか把握できるだろ」と言ったのですが、彼曰く「君の個性は文章の方が良くわかるよ!」との話でした。 昨日久しぶりに会った別の友達からも同じ事を言われたので、久し振りにblogの世界を体験してみるかと、10年間書き綴った旧Ame blogを覗いてみるとそのままの形で保存していただいているようで、筆者として感激しました。。

 

仲間の後押しもあり、不定期的ですが更新してみようと思います。 まあ、設計事務所主催者の親父のぼやきなど、聞くに及ばずと一蹴されてしまうかもしれませんが既に5年継続しているFace bookに合わせ最近タイムリーな話題のみをアップしているYou Tubeに並行して進めていこうと考えています。

 

宜しければ、これからも応援いただければ幸いです。

 

アムス株式会社 1級建築士事務所 主催  榎本 祐士

 

Facebook

https://www.facebook.com/yuji.architect

 

YouTube

https://www.youtube.com/channel/UCC37uPRp-isEBmrsuXlYpuA?view_as=subscriber

さて、どうするか・・・・

投稿開始当時、巷で流行始めたブログを、筆者のような文才の無い一般人が突然始めた2005年9月22日から・・・  前回投稿の、2015年10月末まで早10年の月日が流れたことになります。 


一言で10年と言いましても、個人としては実に長い長い期間ですから色々なことがありました。 (一般的に10年一昔等と言いますから、今から考えれば昔と言える頃にBlogを始めた事になるわけです・・・・。) 少し前からBlogをこの先、どのように続けるべきなのかと時折考えていたわけですが、中々良い考えが浮かばない事も事実でした。 


10年位前は丁度、筆者のような一般人にもBlogが流行始めたと情報が押し寄せた頃で、会社帰りの同僚や、取引先の方々、知り合いの方達との会話にも「ブログやってます??」「私始めましたよ!」等という会話もあちらこちらで聞かれるようになった頃だったと記憶しています。


拙いBlogでしたが結構、長期間、自身でもよく続いたものだと開始当時を懐かしく思い・・・・ 10年という月日の経過に驚いている部分もあります。 最近、巷での主流としては、「Facebook」や「ツイッター」等を使い自身の思いや行動をタイムリーに発信して、仲間や考えを一にする方達と手軽に交流する事や、その他もう少し生活に密着した部分にスポットを当てて、つぶやいたり、話題を共有したり、画像付きの短い文章でつづる形式のタイプが時代にマッチして盛り上がっているように感じます。

 

ただ、時流に流され、無意識のまま流行に乗ることだけが良いとは思いませんが、10年も続けていると自身の生活パターンの中に「blog」を投稿するために身近なところやニュースやnetなどからBlogネタを探し、テーマを決めて曲がりなりにも一つの文章にに纏めるという作業が1週間の行動パターンの中に、結構重く、、、、 しかし、しっかり生活に入り込んでいる事に気がつきます。


幸か不幸か節目を迎えるに当たって、筆者もこの先を考えるのに丁度良い時期なのかも知れないと考えており、特に体調が悪いときや、業務に追われているときなどは話題がマンネリ化してしまっている投稿も多々ありますし、投稿作業自体が厳しくなることもありました。 読み返してみると数年前に、同じようなネタで全く逆の事を言っていたことに気がついてみたり、後輩の皆さんに説教染みた失礼な発言をしてしまったりと、自身の投稿を見て恥ずかしいやら、情けないやら、反省している自分も居るわけです。


親しい友人からは、手軽に発言できると「ツイッター」を勧められて居ますが、自身としては調子に乗って短絡的な過激発言をしてしまう事により、関係者に迷惑を掛けてしまったり、物議を醸す事も避けたいような気もします。 確かにツイッター等も、気軽に投稿できて面白そうな事は事実ですが・・・・。 


Facebookは交流する方を、投稿者側で指定できると言う点や、特殊な勧誘等の影響も受けにくいと言う、今までの「blog」では対応しにくかった事に対応しやすいと言う事も、大きな利点かも知れないと感じているわけです。 (本当は、読者や特定の発言をを絞り込める設定がblogにも機能として備わっていたかも知れませんが、勉強不足の筆者には良く解りませんでした・・・・)


先日、相手側の事情により、知り合いとFacebook上で連絡を取りたいという強い依頼が出たことにより、数ヶ月前に「Facebook」を始めて驚いたことは、世界中で活躍している仲間達とタイムリーに、高いレベルで意見交換が可能であり、E-mailよりは簡易でblogよりは焦点を絞って特定の方達とのみ意思の疎通が図れる事の素晴らしさに驚いているところです。 


特に感じるのは、昔は交流があったのですが、海外移住等の理由により今では中々連絡が取れずに居た幼なじみや、旧友、学友までも自動的に探してくれるような機能は、筆不精のオヤジには誠に便利な有り難い部分です。


他のツールに今までに無い便利さを感じていると言う理由も含めて、今後の「Blog」投稿について、どうするべきなのか? 自身の中でblogと言う物の位置づけをどうすべきなのか? 正直迷っている自分が居ます。 


ついつい、書き込みが長くなってしまいましたが、一度立ち止まって今後の方向性を考えてみるために「アメーバblog」の投稿をお休みさせて戴きます。 又突然継続していたりしているかも知れませんが、今までお付き合いくださり、本当にありがとう御座いました。 


筆者をご存じの方は、引き続きメインになりつつある「筆者Facebook」をお訪ねください。 


https://www.facebook.com/yuji.architect



気の持ちよう・・・・

自分が不幸だと思う瞬間は、誰もが経験する事でしょう・・・・


筆者が以前、サラリーマン時代信頼する上司から言われたことなのですが、大切な事は不幸を不幸のままにのままに終わらせるのか、それともそこから何かを見出すのかの差が未来を大きく分けると言うものです。 筆者の知る限り、自分に起きた不幸を嬉しく思う人間は誰一人いません。 


だからこそ、無理やりにでも別の方向から考えてみる事が必要なのかも知れません。 上司が何時も筆者にアドバイスをくださるときに仰る言葉は、「ピンチはチャンス」だった様な記憶があります。 まさに 光と影があるように、物事には二つの意味があることに気が付くべきなのでしょう。


では、どうやって考えていけばいいのかですが、誰もが生きる時間には限りがあることは事実です。 その限りある時間の中で、自分にとって余り有意義で有るとは考えにくいい事柄に、貴重な長時間を使うことは実にもったいない事なのかもしれません。 もしかすると、その事に気が付けただけでも、残りの人生かなり得したことになるのかもしれません。

 

自身の足でしっかりと乗り越えた経験は、将来自分のためになる事は確実でしょう。  不幸を感じることで、自分の幸せがイメージしやすくなるのも事実です。 まさに昔、上司が私に教えてくれた言葉どおりピンチとチャンスは表裏一体なのですね。


苦しく感じるピンチも、明るい未来のための抵抗とわりきって乗り越えていきましょう・・・・。

愚かであると知る賢さ・・・・・・

例え話ですが、ものすごく賢い人が「俺は世界で一番優秀だ」と言っていたと仮定すると・・・・・


その人は本当に賢者なのか・・・・? と言う話です。 本当に優秀な人は、自分の限界を作ろうとしないはずだと言います。 なぜなら、己の中には無限の可能性があることを知っているからなのでしょう。 未来の自分は、今日までの自分を追い越していかなければいけないと知っているからなのかも知れません・・・。


先日、海外で活躍するエンジニアと話をしていたのですが、「自分は賢い」と言い切る人たち(エンジニア)を深く観察するに、自分の知識や技術にあぐらをかき、他者をさげすみ続けるそうです。 そして、いつの日か、真の優秀な人たちに追い抜かれてしまうのだといいます。 ある特定の分野に秀でているからと言って、自分が世界で一番賢いと思う人は、単なる驕りなのかもしれません。


筆者が真の賢者だと尊敬している人の言葉ですが、「賢者とは、自分の中にあるまだ足りない何かをきちんと見極め、それを追及することができる人」だと言います。 だからこそ、次々と新たな技術や知識を得ることができますし、それをもとに更なる発展が見込めるのでしょう。


エンジニアである限り、己の不足を知り、より深い知識を得て、真の賢者を目指したいものです・・・・。

言葉の主旨を掴む・・・・・・・

言葉とは不思議なもので、同じ言葉を話していたとしても、参加人物が変わると印象がガラリと変わってしまいます・・・・・・・・・・・。


信頼に値すると信じられている人の、経験に基づいた言葉には重みがあるのですが、余り実績のない人の言葉は信用に値しないととらえられてしまうことも世の中には多々あります。 どの言葉を信じるのかは自分自身で決めるべきですが、ここでひとつ覚えておかなくてはいけないことは何か??


自身に対しの忠告の言葉の場合、どんな人間でも、自分の嫌な部分を言い当てられたり、自分に反論されたり否定されたりすると不愉快な気分になります。 しかし、自分にとってためになる言葉ほど、聞きづらいこともまた事実であることを思い起こすべきなのかも知れません。


本当はそんな時、「誰に」言われたのかではなく、「何を」言われたのかに注目して見るべきなのでしょう。 いい評価だったとしても悪い評価だったとしても、自分に対する評価を耳に入れておくことは、時として目標への近道になることもあるのです。


どんな忠告でも、一度は自分の心でしっかりと受け止めて考えてみましょう。 素直に反省できたのなら改善すべきですし、納得がいかなかったら保留にして、後日また考えてみるのも良いかも知れません。


大切なのは、誰に言われた言葉だとしても、必ず一度は心で受け止めるということかも知れませんね。

成功は失敗の元・・・??

聞き慣れた言葉の逆説ですが、どの分野でも、何の努力もなく成功者になった人は誰一人として居ないと言います・・・。


スポーツや芸能の分野であれば、成功者はそれ相応の鍛錬を積んでいます。 練習の量が成功に直接関係するとは限りませんが、少なくとも「何もしない」という選択肢はありません。 必ず何かを練習(トレーニング)したり、レッスンを受けたり、自ら努力したりしているのです。


学業や技術の分野であれば、それ相応の勉強や研究をしています。 「あの人は天才だ」ともてはやされている人も、生まれてから何の知識も入れずに天才なわけではありません。 人並み(もしくはそれ以上)の勉強をして、それ以上の結果を出せる人だということでしょう。


つまり、どんな成功でも、実現するまでは必ず何かをしていなければいけません。 何もしないで「成功したいなあ」と思うことは、空を見上げて「お金が降ってこないかなぁ」と考えるのと同じくらい非現実的なことですね・・・。


「成功」を現実にするためには、必ず何かが必要になっているはずです。 本当に成功したいと思うなら、怖がらずに挑戦すべきです。 


全く何にも挑戦しない限り、まず成功することはないのですから・・・・・。