西暦535年と木内鶴彦さんとガイアの法則の繋がり | Yacco Cafe(やっこカフェ)~光と陰がくつろぐ空間~

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皆さん、御機嫌よう!いかがお過ごしですか?

昨日から勝手に盛り上がって、最近書いてきた記事とかなり方向性が違いますが、まぁ、ブログのタイトルにもありますように、このブログの趣旨は「神話と真実と現実の狭間から」ですから、何卒お付き合いください。


それでは、彗星捜索家、木内鶴彦さんが推理する「交野が原」の壮大な歴史ミステリーから、転載と抜粋をさせて頂きたいと思います。

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交野(かたの)、枚方を流れる天野川あたりには古くから『天の川伝説』が語り継がれています。


JR学研都市線『津田駅』近くには天棚機比大神(あまのたなばたひめおおかみ)をご祭神とする機物(はたもの)神社もあり、交野から枚方に広がる「交野が原」が日本における七夕伝説の発祥の地であるとも言われて来ました。


天の川(河内名所図会) 交野市にはなぜか「星田」「南星台(なんせいだい)」「天田(あまた)の宮」など夜空にちなんだ地名が多いんですが、星田には星が落ちたという伝説も残っています。


私は、94年10月に交野市で行われた京阪奈学研都市のオープニングセレモニーで基調講演をしたんですが、 講演のテーマを下調べする際、交野市に伝わる『天の川伝説』に導かれるように、何気なく交野の古地図と星座の地図を照らし合わせてみました。


すると偶然にも、そこに驚くべき歴史のミステリーが隠されていることに気が付きました。


奈良県明日香村で発見された「キトラ古墳」の石棺の裏側には、円形星図(北極点を中心に円形に描かれた星空の地図)が描かれていました。





それが描かれた年代と同じ頃、交野・枚方には、ナスカの地上絵をはるかに超えて、一辺が8キロにも及ぶ壮大な「星空」が、交野が原に描かれていたのです。



現在では土地の造成などによって失われたものもたくさんありますが、天の星座を地上に映した場所には神社などが建てられて、何か特別な意味を持たせた可能性があります。


天の川伝説で有名な交野市倉治(くらじ)の機物神社は、冬至の日にここへ来て遥拝所の前に立てば、交野山の山かげから太陽が昇ります。


太陽の昇る位置はここより南へは下りません。つまり、機物神社は冬至の日の出を拝む所なんです。機物神社は昔から天文測量の重要なポイントだったんですね。


機物神社の遥拝所 天野川は、実は今から1300~1400年前に人工的に作られた川であるとも言われています。


私は天野川と機物神社の関係から推理して、他に必ず中心点があるという仮説を立てました。


それを実証するために、過去を計算するという作業をここから始めました。


そうするうちに、樟葉の交野天神社が重大な意味を持つのではないかということがだんだんと分かってきました。


そして、天野川と機物神社の位置関係から逆算して、交野天神社が円形星図の中心点(北極点)であると推測しました。



遠い昔、交野天神社の位置を中心点に定め、そこから織り姫星(こと座のベガ)の位置を正確に測った誰かがいたのです。そこに機物神社が建てられたんです。


枚方市・交野市地図 交野天神社の位置がどうして中心に選ばれたのか?


はっきりとした理由は分かりませんが、しかし基準点はどこかに設けなければならなかったわけです。


その基準点から一つの文明が作られようとしたのです。


そこには現在の私たちの知っているよりもはるかに優れた高等数学を平気で使い、しかも星の運行の計算が出来るような人々が深く関わっていたと考えられます。


その人々が最初に、交野天神社の位置をすべてが交わるところ、つまり北極点と定めたのです。


交野天神社の裏に和気(わけ)神社(貴船社)がありますが、和気神社は昔は交野天神社と一体で小高い丘の上にありました。そしてそこには櫓(やぐら)が建てられていたということです。


交野天神社の南には鏡伝池(きょうでんいけ)があります。


現在は間に樟葉中学校の校舎が建っていますが、和気神社、交野天神社、鏡伝池は南北に一直線に並んでいました。


遠い昔、和気神社の小高い丘に立てば、目の前には鏡伝池、そして広大な「交野が原」が一望に見渡せました。


鏡伝池に日が落ちると静寂が訪れ、降るような星々が全天に広がり、天の川もはっきりと眺めることができたことでしょう。交野が原は、神秘に満ち溢れていたのです。




池には「鏡で伝える」という象徴的な名前が付けられていますが、この地を“すべてが交わるところ”と決めた人達は、和気神社の小高い丘の櫓(やぐら)の上に立って、池に反射する星の角度を測っていきました。


これは航海士が大海原で現在位置を求めるときに使う六分儀の原理と同じです。


櫓は当時の天文台だったと考えられます。


測った星の位置は、今度は昼間に太陽の光を同じ角度で鏡に反射させて地上にポイントを落とし込んでいきました。


当時の人々にとって、鏡は天文測量になくてはならない道具として大切な意味を持っていたはずです。


私は交野が原に描かれた「星空」、つまり交野天神社、機物神社、天野川の位置関係を計算しましたが、そこに描かれていたのは西暦535年の星空であったことも知りました。


『天の川伝説』に導かれるように、交野天神社、機物神社、天野川の位置関係を計算して驚いたことは、現在の数学や天文学の最先端の知識を使わなければならないことを簡単にやってのける、そんな凄い文化を持った知的な人々が、かつて交野が原に住んでいたということです。



私は一つの仮説に基づき、交野・枚方の地に関心を寄せるようになりましたが、今後さらに調べていくと、もっと凄いことが見えてくるような気がします。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆(転載元http://murata35.chicappa.jp/soranokioku/index.htm)


そして、あの「ガイアの法則[II] ~中枢日本人は[アメノウズメ]の体現者となる~ 千賀 一生著」で新たに興る地球文明の中心エリアは東経135°線から東に1.4度以内になる、と紹介されていましたが、


もしやと思い調べてみると、そのちょうど中心が1998年7月20日木内鶴彦さんと発見した西暦535年の星座の位置になる北極点「交野天神社=継体天皇樟葉宮跡」になりました(東経135.69度・北緯34.86度)。


西暦535年当時の日本の地形的な中心は、東経135.7°、北緯35.0°だったのかもしれません。


「交野=全てが交わる場所」「継体=旧文明から新文明へつなぐ」「枚方(ヒラカタ)=新文明のヒナ形」と解釈できるのでは!?とのことでした。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆(転載元http://ameblo.jp/amanokawanokame/entry-11223244229.html)


最後に、木内鶴彦さんのHPより彼のメッセージを転載します。


私たち人間には、肉体と意識が存在しています。

肉体が本来持っている能力は、意識によって引き出せることを、わたしは臨死体験から学びました。

その引き出した能力をすべて使い切ることで、地球で生きることや、自分にとって本当に楽しい人生が何なのかが分かってきます。

しかしこれは自分で探すしか方法がありません。

環境を変えたり、いろんな所に出向いてみる。

するとキーワードにふと気づくことがあるのです。

その瞬間、本来の能力や人生観といった、すごくリアルなものが意識から吹き出してきます。

わたしは、これがとても重要なことだと捉えています。

わたしの旅の目的もまた、忘れてしまったキーワードを自ら探しに行くことなのです。

わたしと旅を共にすることが、皆さんのキーワード探しのチャンスになればと思っています。

本来の姿を見つけた人間として、目が輝いている。

旅を重ねるにつれて、そんな方がひとりでも多く現れてくれればと願っています。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆(転載元http://www.geocities.jp/forumsora/tsuruhiko_index.htm)


まったく同感ですね!

1月31日に天河神社、2月1日、枚方でのツキラボ、2月2日に交野天神社にお参りしてきます。

そして、また新しい出会いがあることを楽しみにしています。

最後まで読んでくださってありがとうございました。


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2月1日(日)
第一部13時~15時30分
ツキラボ★「シャーマン女子のお笑いコラボトーク」IN 大阪

第二部16時~17時30分
「フルフィルメント瞑想 無料説明会」


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