今日は大寒らしく、お天気はいいですが、まるで嵐のような風が吹いていて・・・
まるでオズの魔法使いのように家ごと飛ばされるんじゃないかと思うような強風です。
大寒、すごいです!
というか、太陰暦って本当にすごいですよね。
昔、人の上に立つもの、政(まつりごと)を司る者は、天と地を味方につけたものだったといいます。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
と、途中まで書いた午前中、その後、この件について調べようネットサーフィンを始めました。
検索ワードは、「大化の改新」「神道」「仏教」。
調べた理由は、天変地異が起きる大転換期だからこそ、日本は仏教を受け入れたんだよね、年代はいつだっけ?という感じでした。
そして、「仏教はなぜ日本で普及したのか」という記事が出てきたので、早速読んでみました。
詳細は、後で読んでいただくとして、わたしが気になった部分を抜粋させてもらいます。
まず、日本書紀から・・・
安閑二年(535年)正月の時点では、安閑(あんかん)天皇は次のような詔(みことのり:天皇の命令、またその命令を直接に伝える文書)を出している。
━─━─━─━─━─
近頃、毎年穀物は実り、国境に外敵の心配はない。万民は生業を楽しみ、飢饉の恐れもない。天皇の慈愛は国中に広がり、その名声は天地に満ちている。内外は平穏で、国家は富み栄えている。
━─━─━─━─━─
そして、次の年、宣化元年(536年)における宣化(せんかん)天皇の詔にはこうあります。
━─━─━─━─━─
食は天下の本である。黄金が万貫あっても、飢えをいやすことはできない。真珠が一千箱あっても、どうして凍えるのを救えようか。
━─━─━─━─━─
何が起ったと思いますか?
「デイヴィッド キーズ:西暦535年の大噴火―人類滅亡の危機をどう切り抜けたか」には、こう書いてあります。
━─━─━─━─━─
『日本書紀』は、全十二万語に及ぶ大著だが、このような記載はほかに一ヶ所もない。しかもこの文章が、ちょうど同じ時期に世界中に広まっていた天候異変と全く同一の現象を記していることは、決して偶然ではない。
━─━─━─━─━─
デイヴィッド・キーズが指摘するように、詔が出る1年前の535年から翌年にかけての時期は、世界的な寒冷化の年であった。
そのことは世界各地の年輪データから実証されている。
地域によって差があるが、535年から数年、場合によっては20年以上にわたって、年輪の幅が異常に狭くなっている。その間、木がほとんど生長しなかったのだ。
さらにグリーンランドや南極の氷雪を分析してみたところ、6世紀中ごろの氷縞に火山噴火の痕跡である硫酸層が大量にあることが確認された。
このことは、インドネシアのクラカタウ島火山の大噴火による大気汚染が日光を遮断し、世界的な気候の寒冷化をもたらしたことを意味している。
535年以降、異常気象による飢饉と疫病で人々が苦しんだことは、世界中の文献に記載されている。
(ちなみに1883年に起こったクラカタウの大噴火は衝撃波が地球7周した史上最悪の噴火だったとか・・・怖!)
朝鮮半島で、それまで異教国だった新羅が仏教を採用したのは、535年だったが、日本でも535年以降、同様の天変地異が起き、このために伝統的な宗教が権威を失い、人々は現世利益をもたらす新たな信仰の対象を求めた。
仏教をはじめ大陸の先進文明に通じていた蘇我氏が登用された背景には、大和朝廷が未曾有の危機に直面し、伝統的な手法に行き詰まったことがあったわけである。
ちなみに、仏教そのものは、日本に仏教が公式に伝来したといわれている欽明(きんめい)天皇の戊午の年(西暦538年)以前から日本でもその存在が知られていた。
しかしこの当時の日本人は、誰も仏教を信仰しようとはしなかった。
豊かな時代には、人々は新しい宗教を受け入れようとはしない。
一般的に言って、社会不安が広がると、新しい宗教が普及したり、宗教改革が行われたりする。
バブル崩壊後の日本でも、広がる社会不安を背景に、様々な新興宗教が跋扈した。
気候が寒冷化し、環境が悪化すると新しい宗教が生まれると同時に、権力の集権化が起きる・・・。
(記事元はhttp://www.systemicsarchive.com/ja/a/japanese_buddhism.html)
すごくないですか?
今の時代と似てますよね?
今の精神世界ブーム、、、やっぱり、起るべくして起っていますよね!
そして、権力の集権化!!!笑
これぞ、神仕組みじゃない?ア~タ!
それで、ここでは終わらなかったわけです。
なっなっなんと!
今度のツキラボは大阪の枚方市の会場でやるんですけど・・・
その大異変があった西暦535年で検索していたら、この枚方市がキーワードで出てくるんです!!!
驚きと興奮!!!
そこには、彗星捜索家の木内鶴彦さんの講演会に参加した方の記事がありました。
交野(かたの)、枚方を流れる天野川あたりには古くから『天の川伝説』が語り継がれています。
この辺り一体の「交野が原」が日本における七夕伝説の発祥の地であるとも言われて来ました。
枚方市の交野天神社(かたのあまつかみのやしろ)は、社伝によれば延暦6年(787)11月5日、桓武天皇が先帝光仁(こうにん)天皇を天神(あまつかみ)として交野が原で祀ったことに由来すると言われています。
そんな謂(いわれ)の他に、宮司さんに伺うと、1500年位前にここは
“すべてが交わる場所”
とされ、星にまつわる話が残っているということでした。
ということでね、さっき、ドバちゃんの相方のナオちゃんに確認したところ、毎月二人で御参りしている神社でした。笑
もっと、詳しく書きたいのだけど長くなるので、交野天神社の話は明日に続く・・・
追記、その内容には、あのガイアの法則も出てきます。
///////////////////////////////////////
2月1日(日)
第一部13時~15時30分
ツキラボ★「シャーマン女子のお笑いコラボトーク」IN 大阪
第二部16時~17時30分
「フルフィルメント瞑想 無料説明会」
お申し込み、詳細はココから。
誰かの何かのきっかけになりますように、ブログランキング、参加しています。