潜在意識にアクセスする。 | ありのままで生きる

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自然が大好き。旅が大好き。自然のcolorのグラデーションの中に意識を合わせることが大好き。そんな感覚を伝えていきたい。「自然との調和」を大切にこの世界をつくっていきたい。

先週、タロットリーディングをしてもらった。

 

 

 

 

潜在意識をカードによって見せてくれるタロット。

私が投げた質問は、今後の仕事について

私の中にあった未解決の問題がネックとなっていて、今ある現実を作り出してしまっているような世界だそうです。

その時の会話がうる覚えで内容を覚えていないのですが、左上の斜めのカップのペイジのカードのようにお魚とおしゃべりをしていくと良い? との会話に、その時は、悩みがないような意識状態だったので、自分の潜在意識の思いにどこか他人事のような感覚でいたなと思います。

後に、低覚醒状態だったことに気がつくのですが、、、

 

次の日に、名古屋に前から見たいと思っていたGOMAさんのアート展に行ってきました。

 

 

一度、出口がわからなかったので入口に戻ってきた時に、本人がいたのでびっくりしましたが、出口はあちらです。という言葉にそのまま最後の作品を見に行きました。見えない世界の波動のような意識を描いている人だなと思いました。

以前、20年前にディジュの演奏で見に行った時があったのですが、この人の音は場を浄化させながら整えているシャーマン的な波動の意識を持ち合わせているなと感じていました。

交通事故で、高次脳機能障害と記憶喪失を経て事故の2日後から緻密な点描画を描き始めた GOMAさん。

ディジュリドゥもオーストラリアの先住民のアボリジニーの人たちが使う楽器で、点描画も彼らの表現の世界のものである。

私自身も、オーストラリアにいた時に、アボリジニーの人の意識、人間の原始の感覚というものを感じていたので、GOMAさんの描き出した世界が見えない潜在意識の世界の琴線に触れているように感じた。

その後、再度会う機会が合ったので話しかけてみた。

どこから描いているのか、という話から始まり、少し雑談をして帰ってきた。

でも、この時も、私が話しているんだけれど、どこか主の私は、低覚醒状態で自分の意識が浮上してこれないような、、、そんな感覚でした。

後に、このアートも意識状態を整えてくれていたのだなと思います。

 

「GOMA が「ひかり」と呼ぶ作品はどれも、現実の意識から遠く離れたところで出会った景色を描いている。その景色は、人種や国境を超えて、わたしたちの体の奥底に眠る「ひかり」の姿を呼び起こすことだろう。」

 

きっとそういうことなんだと思う。

その日の夜、自分の意識が実は、たまに途切れ途切れになっていることがたまにあり、何故だかモノがなくなっていることがあっても思い出せないということがあった。

今まで誰にも言わないでいたが、元夫に頭をたくさん殴られてしまったことがあったから。

 

そして、その翌週、通っている鍼灸の先生のところに行ってきた。右腕の肘にすごく痛みを抱えてどうにもならなくなっていた。

 

実は、この場所、8年ほど前に、沖縄で民さんというアーティストに紹介を受けたキネシオロジーの人の音叉セッションを受けた時に、全然意識が開かなくて、右腕の肘部分ががっちりガードしているようなことを言っていた。

【キネシオロジーというのは、筋肉のコリから、心の痛みなどを連動して癒していくセラピー】

 

鍼灸の先生、鍼灸師範の免許も持っているので、情報量が多くて、とても勉強になるのです。

色々な話をする中で、意識の話をしながら、治療を進めていくと、なんだか意識が統合してきたような感覚になり、自分が乖離している感覚を持ち合わせていて、色々と困っているということを話しだし、気づいたら涙が止まらなかった。

深層組織に鍼を入れていく行為は、潜在意識に気づきのきっかけを起こすアクションをしているということを言っていて、カウンセラーの人は、それを会話で行なっているから、同じなんですよね。という言葉。

涙が止まらない中でも、まだ、どこかでブレーキをかけて、頑張ってしまう私。

弱音を見せない。見せたくない。という意識がまだ強くあるのだな。

背術後は、エーテル体がとてもクリアになった。この意識状態、植物や虫、動物たちと感覚を共有できるのです。すごく繊細な優しい波動。

 

 

タロットから始まり、「ひかりの地図」、鍼灸治療で、自分の意識が少しずつ統合されてくると、昔の人間関係が戻ってきた。

6歳の頃、受けた左手から右手への矯正で、いじめられっ子で、気の弱い私が、右手になったことで、超強気な私になった。

左手さんの私はどうしようもならない状況に陥った時に、助けてくれた右手さんの意識はそれ以来私の主軸となった。

でも、強すぎて、スパルタで、ストイック。そんな右手さんが頑張りすぎてしまった時に、左手の私が今度は助けているのだなと。

 

今時点では、やっとバランスが取れてきたように思える。

 

そして、右手の私は、強すぎる意識の持ち主だった。

元夫のDVは、その反動だろうか。

強い世界は、強い行動を伴う。戦争のように、、、 

元夫のDVを受け入れてしまった私は、双方の思いがわかる人間になった。

傷つけ合う人たちの強い意識。繋がりを遮断してしまっている人の意識。

ユングの世界を見ていくと、私たちの繋がり、ワンネスという意識の世界を共通の集合意識として持ち合わせている。

先住民であるアボリジニーの意識の世界も同様に、戦争とは皆無の意識の世界に繋げてくれる。

現代人の意識は、繋がりがなくなってしまった中で、色々な問題が起きている。

 

私の中の意識が統合していくことで、世界平和という大きなビジョンのステップを踏んでいけるのかな。

先ずは、私の中の心の平和から。

 

追記

DV自体も自分が作り出していた意識。

強すぎる右手の私は、自分が言葉の暴力や意識の押さえつけを無意識にしている事に、元夫は反発していたなかな!

今となっては昔の思い出!

DV自体は虐待であり、暴力は人にしてはいけない行為である事、戦争自体もその感覚の意識を超えてしまっている。

 

罪を憎んで、人を憎まず。

その人の生まれ育った背景や心を理解しようとする心が大切なんだと感じる。