おはようございまーす!

さこぴですニコニコ飛び出すハート

 

 

 

 

うちの母は健在ですが、自死や死についての話なので

調子の悪い方、母親関係で不安定な方や

読んで気持ちが辛くなった時にはぜひすぐに画面を閉じてください

 

 

私は今ナリ心理学&母親問題について勉強中で向き合い中の人です

リブログしたり、自分の解釈について書いていますが

教えたり質問や相談には乗れません

解釈や取り組みもまだ甘くて間違ってる部分もあると思いますので

ご了承くださいませ

 

 

 

 

 

この記事↓

私の母親はまだ健在だけど、

何度読んでも相談者さんの思いもわかるし

ザクザクと刺さる

 

 

去年も私はリブログしていた

 

↑この時は、私の母親も自死するかもしれないという恐怖が強くて

相談者さんの思いにも、コメントで実際に母親が自死した人の思いにも

めちゃめちゃ引っ張られていた

 

 

私も幼少期から母親が怖くて、

ずっと恐れていたんだけど、恐れながらも母親にたくさん気を遣ってきた

 

母を怒らせないように

母の気分を害さないように

母が笑顔になるように

母が幸せ生きれるように

 

中学生くらいの頃、私は反抗期がなかった

母親に、父親に怖くて反抗なんてできず

学校の先生に反抗して当たってたかな汗うさぎ

それでも非行の方向にも走れず、

とにかく自分の思いや湧き出てくるものをグッと押し込めて

問題ない自分でいるために

やる気のない捻くれた10代を送っていたなあと思う

 

 

 

母親と向き合う取り組みの中で母親にもたくさんぶつけて、

止まらないくらいめちゃめちゃぶつけて

そういう自分がいるから余計に

「母親に自分が強く当たってしまった」

と言う罪悪感でいっぱいになって

母親がそれで自死してしまったらどうしよう?

と感じることがものすごく怖かった

 

 

 

前回リブログしてから約9ヶ月後の今回は

「うわあ、この記事やっぱり刺さるわあ」

と思いつつも、割と淡々と内容理解をしていた

前回自分の中にいっぱいだった罪悪感や恐怖や悲しみは

あったことを確かめることはできるけど

今はそれほど強く引っ張られてはいなかった

 

わかる、けど、ちょっと距離を置けるようになったし

わかる、から、自分ごととしてどんな風に理解して取り入れられるかな

という感じになった

 

 

 

 

リブログ先でナリくんが何度も伝えている

「あなたは悪くない」

 

これは、自分の母親がどんな母親であっても

子供の自分と母親の行動は関係がない

ってことと同じだと思う

 

 

母親の態度、言動を子供の自分と関係があるように思ってしまうのは

それは幼少期からの母親の自分への関わり方の影響から

自分が関係しているように考えるクセがあるだけで

母親がどんなことをしようが、「お前のせいだー」と言おうが

子供の自分が悪いのでもなく、子供のせいでもなく

 

そこに自分のせいだと関係性を見出さなくていいよ

ってことなんだと思う

 

実際に、そうなんだよね

 

母親がおかしかったのは子供である自分が生まれる前からで

そんな母親が育てたから、母親との関係性がおかしくて

母親のやることなすことと自分を結びつけて考えることをやめられないのは

自分が好き好んでやってることでもないし

本来はやらなくていいことを、やらざるを得なくなってしまっているからで

そこで生まれる罪悪感は断ち切っちゃってもいいってことなんだ

 

 

 

リブログ先に書いてあった

「まだ母親に縛られている」というのは

母親の言動と自分を結びつけるのをやめられない状態

ということなんじゃないかな?と思った

 

 

母親と自分を結びつけるクセがあるから

母親以外の周りの人と自分を結びつけるクセがある

 

 

正直まだ私はそれを完全に断ち切れてはいないと思う

一度引っ張られて、あれ?と思って、意識的に断ち切る

というのを繰り返しているから

 

断ち切る時には

自分が薄情になったような、とてもドライになったような感覚になるし

「何もしていない」感覚になる

 

 

それはきっと、

幼少期から母親に

「私(母親)の思いや考えを大切にするからあなたはいい子」

「私(母親)のことをわかって?そして私のために動いて」

をぶつけられてきて

子供の私は一生懸命にそうやって母親の気持ちを汲み取ってきたのに

一向に母親は良くならないどころか

何にも変わることがなく

結局私に、大きな無力感と罪悪感を植え付けただけだったからなんだろう

 

 

相手のためにならなかったこと、

気を遣ったのに相手が思った通りの反応をしなかったこと、

相手の嫌な感情を自分がケアできなかったこと、

こういう時に私はものすごく罪悪感や無力感を感じてしまいやすくて

そんな不安感から、何かしなきゃと思うし

「私のせいだ」と思いやすい

 

 

 

私は母親と向き合う中で、母から強く受け取ったメッセージが

「もうこれ以上お母さんのことを責めるのはやめて!」

だった

直接言葉で言われたわけではないけど

母と接する中で母の態度や言動を言語化するならば、これがしっくりくる

 

だからこそ「お母さんをそんな気持ちにさせた私が悪い」って

思いからなかなか抜けられなかったんだよなあ

 

これ以上言ったら、お母さんは何するかわからない

もしかしたら死んじゃうかも「私のせいで」

 

これが怖かったんだ

クソノートにすら「○ね」って書くのが怖かったくらいだった

 

今回は、私は子供の頃からそんな恐怖感があったんだなあって思って

怖かった気持ちで過ごしていたことに泣いた

 

 

だって本当にやらかしかねないと思ったし

そうなったら私のせいなの!?って、そりゃあずっと怖かった

 

 

私が何か言うたびにどんどん弱くなっていくのも嫌だった

幼少期にあんなに強くて怖かったのに、

あれは私が反抗しないからだったのか?

と言うことは私が反抗したから、弱いお母さんになっちゃったのか?

 

母の態度や言動は、私が決めているかのような思考にしかなれなかった

 

 

 

 

でも、私自身も相手の反応で自分を変えるように

母親も同じなんだよね

 

自分を守ることのために生きているから、

相手の反応で自分を変えて、攻撃から自分を守っているだけ

 

それが私の言動で母が変わったように見えるし

母が攻撃性が高くて私が悪いかのように出してくるけれど

 

 

私は母のことを何にも決めることなんてできない

そんな風に母が演出してくるだけで

実際は、全部母のことは母が決めている

(実際は無自覚や決めてるんじゃなくてそれしかできなかったであっても)

 

 

もしも「○ね!」と言われて死んでしまったとしたら

「人に○ねと言われたら、その人のせいにして私は○ぬことにする」

と相手が決めてやったこと

 

 

そしてまた、自分も自分がどうするかは決めれると言うこと

たとえ、無力感や罪悪感や不安でいっぱいになったとしても

自分がどうするか、どうしたいか、どうしていくかは

ゆっくりでも時間がかかっても自分で決めていっていい

これを何度も思い出していくことなんだと思う

 

9ヶ月前の自分と今で、同じ記事を読んでも感じ方が違うように

すぐには自分のクセや捉え方を変えることはできないけど

自分の一番引っ張られて嫌なことを自覚することだけでも

少しずつ捉え方は変わっていく

 

自分の母親が非常に残念で、

それが私自身の人生にも変な影響を及ぼしてしまっているけど

自分がこれからどうしていくかは

結局自分次第

 

 

私は、めちゃめちゃに罪悪感が強くて

「自分が悪い」「私のせいだ」にどっぷり浸かっていた人でした

それでも、少しずつ抜け出そうとしてる

 

きっと世の中には私と同じように

どうやっても「自分が悪い」から抜け出せずにいる人がいると思うけれど

そんな人の中にも

 

「あなたは悪くない」

 

この言葉が響くようになったらいいよね

と思うし

 

「あなたは悪くない」

を何度も何度も言い続けてくれたナリ心理学のおかげで

今の私がいるなあと思っています