おはようございまーす!

さこぴですニコニコ飛び出すハート

 

 

 

 

 

今日は前回の続きです

 

 

 

 

私が実家を出てからの母の様子が変わったように見え

 

当時の私はそれを

 

 

私が大人になったからだ

やっと母を喜ばせられるようになったんだ!

 

 

と勘違いをしていました

 

 

 

 

 

でも、やっぱり母は母のままで

 

 

話を聞くということも、

そのままを認めることもできるわけもなく

 

 

 

 

私の中の母に変わってほしい

 

 

=母にわかってほしい

 

私のことを見てほしい、私の気持ちを理解してほしい

 

 

 

その部分に期待していた私は

母の変わった部分を見ては裏切られ

 

でも、その期待を捨てることができずに

 

 

 

私が変われば

私がもっと良くなれば

私がもっと母を喜ばせられるようになれば

 

 

母は私のことを見てくれるかも?

私の話をわかってくれるのかも?

 

 

何より母が幸せで楽しく人生を生きてくれるかも?

 

 

 

そんな風に間違った方向に加速していきました

 

 

 

 

 

そして、タイトルの

私がなかなか理解できなかった「母は変わらない」

 

 

え?うちのお母さん変わったよ???

 

 

と勘違いする出来事、その②は

 

 

 

お母さん、私の話を聞いてくれるようになったおねがい

 

 

です

 

 

 

 

私が30歳で、長男が8ヶ月の頃

 

 

私は母に生まれて初めてブチ切れて

 

 

そこから約5年間一切の連絡を断ち、

引越し先も、次男が生まれたことも知らせず

(ただ、住所以外は義母が教えていたのだけど)

 

 

必死で強がりつつ

内心は母にブチ切れてこんなことしてしまってる

という罪悪感でボロボロになっていました

 

 

 

そのボロボロの中で、

でももうこれ以上はどうにもできず

 

母親と向き合う取り組みをはじめて

 

 

その中で、母親にまた会いに行くことにしました

 

 

 

5年ぶりに会った母親は

これまたすっかり態度が変わっていて

 

 

 

そう、

 

 

短時間ならば私の話を聞いていて

 

 

 

 

 

え!?お母さん???

どうしちゃったの????????驚き

 

 

 

と私は混乱

(それでもものすごく気を遣って、怖い中話してた)

 

 

 

そしてそして

私の結論としては

 

 

お母さん、話を聞いてくれるようになった!!!

 

 

に繋がっていきました

 

 

 

そっか、私が母に反抗をしたからか

→反抗期ゼロだった

 

 

今までずっと怖くて言えなかったもんな

本当は嫌だってことも言えなかった

母の言う通りにするしかなかった

 

 

それを遂に言ったから、母にもその姿勢が伝わったのかもしれない

 

 

 

 

そんな風に私は解釈していったのです

 

 

 

でもね、

今振り返ると、別に母の話を聞いている、も

 

 

枯渇状態のカラッカラだったから

私の言葉が届いた!と思ったようなもので

 

 

話をしても、嫌そうな顔をしてたり

 

話してる途中で遮られるし

 

「お母さん、覚えてないし・・・」

「仕方ないよ、昔にはそんな情報なかったんだから」

など拗ね出すし

 

どんどん母は顔が私とは違う方向を向いていき

 

 

 

会う回数が増えて、

昔の話をすることが増えるたびに

 

 

なぜか、

母と私が話しているのに

どんどん父が会話の中に入ってくるようになり

 

 

なぜか、

最後には私と父の言い合いが始まるという

 

 

謎展開に真顔

 

 

 

 

その時の母は、

父の後ろに隠れて、ジトーッと私を見てるのであった

 

 

 

 

うん、全然話聞いてないよね

 

 

 

 

 

全く人の話に耳を傾けず、過干渉一択だった母が変わったように見えたのは

 

私が初めて強くキレて、思い切り無視と拒絶をしたことで

母の中の私に対する上下関係や力関係が揺らいだからだったのかな

と今は捉えています

 

 

 

 

 

 

 

改めて母親理論を学び直して

今になって当時を振り返ってみれば

何が間違っていたのかは良くわかる

 

 

私が母にやっていたことは、

ただただ幼少期にもらえなかった愛をもらおうとしていたってことだったから

 

 

 

 

ずっと母の不機嫌や怒りや暴言暴力に怯えて

自分の気持ちも話せず、共感もしてもらえず

 

母の言うことを聞くために

自分の気持ちや感情を封じ込めてきたこれまで

 

 

 

母の言うことやることが正しいんだ

私がおかしいんだ、間違ってるんだ

だから、母の言う通りにやってるんだから間違いないんだ!

と、自分の思考をオフにして突っ切ったこれまで

 

 

そんな

自分の人生が大損だったことを認めたくなくて

 

 

ちょっと表面的に変わったような母に

これまでもらえなかったものをもらえるんじゃない?って期待して

 

 

私の人生これでも大丈夫だった

って正当化して、安心したかっただけだったんだよね。。。

 

そしたらこのまま何もしなくたっていいってことだからさ

 

 

 

 

心の仕組みのことを何も知らず、

ナリ心理学に出会っても、

十分に母親理論を理解できていなかった時は

 

母親に期待しまくってグルングルンに

自分の人生を母に振り回されていたようなものでした

 

 

 

 

 

母への期待

自分への期待

 

それが、

私が「母は変わらない」を理解するのに引っかかっていて

 

ちょっとした母の変化のようなものに

大暴走を始めた2つの出来事でした