おはようございまーす!
さこぴです
先週、子供達と岩手県の電車に乗るために
出かけてきました
岩手の南側をぐるっと一周する旅
岩手県って広くて
(都道府県面積ランキングでは2位)
南半分をぐるっと1周するだけで8時間くらいかかったよ
で、
色々途中にあったトラブルの関係で
夜ご飯を私の地元のイオンで食べることになって
前方100M先辺りに
私の両親らしき人が歩いてたんだ(後ろ姿)
田舎狭すぎる!
それを見た私、
ヒュッ!と縮こまるような思いがした
2文字で表現するなら、それは
恐怖
恐怖で身が縮こまる感覚でいっぱいで
心臓がドキドキしているのも感じた
うわ、Uターンしたいって思った
子供達よ、騒いじゃダメだぞ?って思った
私はちょっと焦った気分でアワアワして
この場から逃げたい気持ちでいっぱいだったけど
同時に今自分が感じているものが
恐怖だな、っていうのも認識していた
そう、怖かったんだ
純粋にただただ、怖かった
自分の体の感覚で
それは恐怖だと表現されていた
結局両親には会うことはなく
私はなるべくいつも通りにしていて
子供たちは満腹で
「美味しかったー」「また来たいな〜」「○○(地名)いいね〜」
って色々言ってるのを聞きつつ
そのまますぐ車で帰ることにした
時間も遅かったしね
帰りの車の中で運転をしながら
怖かったんだ
という気持ちをゆっくり反芻してた
私は、両親が怖い
私は、お母さんが、お父さんが怖い
幼少期からずっとずっと両親に思ってきたこと
でも、その「怖い」を認められなかったし
両親が思い描いてきた
「仲良し家族」に対して
私が親を怖いと感じているなんて
仲良しでも何でもないじゃん!
怖いなんて思っちゃダメ
怖くない
怖くない
怖くない
そんな風に私は両親を、
そして母を庇ってきた
だから私は、
親との関係以外でも
「怖い」と思った時こそ
怖いと言う気持ちを否定して
強気に出たり、無茶をしたり、我慢してやることで
怖いと思っていないことにしようとした
それが周りの人たちからは
すごいね、度胸がある、強い、怖いもの知らずだ
そんな評価を得ることになった
でも、私は
そう言う評価を受けるたびに
悲しい気持ちになっていた
全然嬉しくなかった
後ろめたい気持ちになるばっかりだった
そういうのも全部
両親が怖い
母親が怖い
それを見ないようにしてきて
「怖い」を感じないように感じないように
誤魔化そうとしてきたからだ
私は、お母さんのことが怖いよ
お父さんのことが怖い
2人が一緒にいる場面が一番怖い
2人揃って私を否定したりすることが
2人の結束感が、私は邪魔者だって思えてきて
仲間はずれにされたり、味方になってもらえなかったり
こんな子供産まなきゃよかったって
なんでこんな子に育ったんだろうって
そう言うメッセージが
モロに伝わってくるから
母親と向き合うようになって
母親に言い返すようになって更に悪化したけど
でも、
幼少期から両親の態度や考えは変わらないんだから
私はずっとずっと
私は生まれてこなきゃよかった
私の存在なんてなきゃよかった
そんな思いや、恐怖感をずっと感じ続けていたんだ
母親と向き合う取り組みの中で、
自分が行動を起こしていこうとする中で
何度も何度も出てきて
母への恐怖感
何度もノートで具体的にしたり
ブログにも書いたことがあった
↑これとか
存在を否定されること
見捨てられること
生きてる価値がないと自分が思ってしまうこと
何が怖いかって言うのはわかってはいたんだけどね
車を運転しながら、
怖かった
その感情をゆっくり認めていった
今まで両親を一生懸命庇ってきたのも
親の理想を叶えようとしたのも
見てくれの仲良し家族を作ろうとしたのも
それがうまくいかないのは
全部私が悪い子だからだって自分のせいだと勘違いしたのも
全部全部、
両親への恐怖感からだったよなあって
ジワジワと胸の中に染みていく感じがした
本当に怖くて怖くて仕方なかったのに
その「怖い」を認める勇気がなかった
怖いなんて思っちゃダメだと思ってたから
でも、
この日少し離れたところから見つけた両親にさえ
私の体は恐怖で反応している
ああ、怖い
この場から逃げ出したい
体も心も、まっすぐにそう思ってる
恐怖に出会った時の人間の反応は大きく分けて2つ
・戦うか
・逃げる
今までは、逃げることができなくて
戦ってきたけど
本当は戦いたくなんかない
それは親を庇ってとかじゃなくて
本当は怖くて怖くて逃げたかった
その逃げるが封じられて
仕方なく戦ってただけだった
封じてきたものは、
未成年の頃は、自分1人で生きていけない子供だったからだったし
大人になってからは、脳内の母親の存在だった
もういい、この人たちから逃げていい
自分の「怖い」を存分に大事にしよう
私は怖い、を認めよう
私は怖いを思いっきり感じてやろう
そんな風にして帰宅して、
そこから1週間ほど経って
この時のことを書いてみようかなって思うようになった
今感じているのは、
ずっと胸にあった重たいものが
楽になったかな、と言う感じ
「怖い」を封じるために
現実を歪めようとしたこと
偽ろうとしたことを
もうやらなくていいんだ
ってホッとした気持ちを感じているところ
怖かったな、寂しかったな
そんな感情を
私の中に自然に持っていいんだって気持ちになったかな
やっとこ
「怖い」と言う感情を
そのまま感じることができたのかなとも思う
怖いものは怖いし
怖いものを怖がっていい
怖くないフリをしなくていい
恐怖から自分の身を守っていい
そんな風にも自然に思えるようになって、
それがすごく安心した気持ちに繋がっていったかな
怖いって感じること自体が怖いんだけど、
でも、その怖いを隠したまま感じないままでは
いつまでも消えることはない
ただ、怖いを感じることは
その怖さがその人にとって強いほど
簡単にできることじゃない
正直私のだってトラウマだし
私が強かったからでも何でもない
そして、
追体験することの全部が全部いいとは思えない
だから現状、
怖いけど怖いことを認められなかったり
あまりにも強い恐怖がある人には
それくらいすごく怖かったんだよね
って伝えたい
見れないくらい怖かったことがあった
まずは、それで十分だって思う
焦らず、ゆっくり
やっていくので十分だって私は思います