おはようございまーす!
さこぴです![]()
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前回と前々回のブログで
私がめちゃめちゃに間違ってたこと
について振り返って書きました
以前の私は母のことをそのまんま見ることができず
私は母に対して
変わってほしい!!とずっと思っていました
それは、
私のことをわかってほしい!!という
切実な思いが強烈で
このわかってほしい、変わってほしいを叶えたくて
そのためにずっとずっと叫んできた人生でした
私は母にきっとわかってくれると期待して、
そしてそのために棒に振った人生の損を認めたくなくて
必死に母は変じゃない
にしがみついてきたのだけど
じゃあ、
損を認めよう
期待をやめよう
諦めよう!!
としても
そんなにあっさりできるものではなく
できない→ダメだを繰り返してばかりだったのですが
できる、できないから一旦離れて
母親理解と自分の幼少期について
改めて向き合うこと
そして、どうして今の私の状況になったのかを
見つめ直すこと
こっちをやることで
スーッと色んなものが和らいでいきました
私は、思い返せば5年前くらいまでは
自分の幼少期のことを考えただけで
拒否反応が強くて考えたくもなかったほどでした
母と向き合うこともすごく嫌だったけれど
自分の幼少期のことや、
自分が置かれた状況が結構酷いこと
その時の自分の気持ちを見ることも
結構辛いことで
私は、自分の幼少期を振り返ること自体
やってきていませんでした
ナリ心理学のブログで
非ダイヤの人の特徴を読んだり
母読むチャレンジや新母親頂上決戦カテゴリ記事を読んだり
↑この#の記事
1月から参加している
ナリ心理学認定心理士養成講座の講座内容や
イベントで全国にいるたくさんの受講者の仲間や
ナリくんやアドバイザーさんたちとの関わりを通して
うん、もう一回自分のことを見つめ直そう
自分の置かれた状況をもう一度理解しよう
やれることがあるなら、やり直そう
そんな風に思えて
先日も、愛着障害についての本を読みました
→感想書くの途中で止まっちゃってるけどw
そしていろんなことが少しずつ繋がっていって
自分が過ごした幼少期について知っていくと
私がなぜこんなに母への期待を持ってしまって、
それが捨てられなくて
自分の脳内理想がやたら高くて
なぜそれに縛られちゃってたのかを
理解することができて
そこから一気にいろんなことに納得できて
こんだけ変わってほしいって思うような母が
変わるわけがない
こんだけわかってほしいって思うような母が
わかるわけない
そんな母に育てられて、私が自分のことを
わかるわけない
ずっと恐怖で縛られて
自分の考えや感情や感覚を無視することで
なんとかしようとしてきたんだから
自分の考えや感情や感覚が
わかるわけない
そんな風に色々と降参する気持ちになれましたのかなと思います
自分の幼少期を理解する時に大きなヒントになったのは
他の母親を知ることでした
それはダイヤ母もだけど、我が家以外の非ダイヤ母
両方が私には必要でした
うちの母よりも優しかったり(でも弱者)
少しは話を聞いて受け止められたり(でも雑魚)
それでも子供は非ダイヤになってしまう
受講生仲間にも母親と向き合い中の人も
向き終わって過去の清算をしてる人も
たくさんいて
その仲間たちのいろんな声を聞いて、姿を見て
私の育ちの酷さと、私が親にもらってないものを
少しずつ実感していきました
ナリ心理学でも
他の家庭を知らないこと
それが、自分の不幸や自分の親のおかしさを
自覚できない要因になってるよって教えてくれています
私ももちろん知らなかった
無知すぎるのもあったし
知りたくなかったって気持ちもあった
(知ってしまった後も受け取れなかった)
これまでは
そんな知りたくない、受け取りたくない
でイヤイヤばかりだったんだけど
でも結局そうやって逃げてしまうと
大事なプロセスは踏めないし
やることを理解できず間違ってしまって
逃げてると
結局期待ばかりが膨らんでしまう
もちろんこれまでできなかったことも
知らなかったことも
私が悪いせいではないんだけど
だからずっと母にも自分にも期待をしていたんだよなあ〜
と言うのが
やっとこ腑に落ちた今日この頃です



