僕の島のインフラが完成した。
僕が長崎県から30億円で買い取った「西神島」だ。北朝鮮の教祖・鮮の夫人と娘たちを住まわせるのが最初の目的だった。僕は3回、下見に訪れている。
この60平方キロの島には最盛期には5,000人の住民が住んでいた。その住まいや学校、病院、商店街や映画館などは人が住まなくなって50年ですべてボロボロに朽ち果て、崩れかけていた。軍艦島と異なり、文化的、歴史的な価値のある建物は皆無だ。
僕は建設重機を入れ、すべての建物を撤去させた。RC造の建物は、都会なら解体には時間がかかる。しかしここは海に浮かぶ無人島なのだ。騒音や振動、粉塵に文句をいう近隣住民はいない。ダイナマイトを大量に使い、一気にぶっ壊した。重機で新たに作る港湾予定地に瓦礫を運んだ。
この島は周りの海の潮の流れが速いのと、岸壁が切り立っているので、港湾設備をしっかり作らないと船が接岸できないのだ。逆に言えば秘密裏に上陸することが出来ないから安心だった。なにせ女性しか住まない島なんだからね。
建物がすべて撤去されると、広大な更地が出現した。約8平方キロ。そこに僕の資金で機能的な、かつ優美な施設、建築物の立ち並ぶ新しい町並みを作り上げたのだ。
何度も足を運んだ。都市計画の専門家、建設会社、住宅専門の建築家などと打ち合わせを重ねてきた。総額3,000億円。僕のスイスのプライベート・バンクのお金は半分になった。でも、生活費に困ることはない、と思う。
醜い都市の共通点。それは建物に統一性がないこと。江戸時代の江戸の町並みは美しかったに違いない。建築の様式が同じだったからだ。昭和40年代の東京の写真を見ると、その不統一さ、色遣いのまちまちさ、看板の乱立、電柱に取り付けられたさまざまな付属物など、醜さの塊だ。そういった景観は僕の美学に反する。
電柱は1本も立てない。電線、水道、ガス、弱電ケーブルなどはすべて車道の中央分離帯の地下に作った専用地下道に埋設。交差点下に「HUB」を設け、そこから枝分かれさせる。
道路はすべて石畳。長崎県の有名な石材、肥前六方石がこの島では大量に採れたので、それを使った。明るい色の玄武岩だ。六角形の石柱で、薄く製材出来るから、敷石にはぴったりだった。ビルの外壁にも使える。
車道と自転車道と歩道の完全分離。町の中心に建てる「総合文化センター」となる12階建てのビルは外壁を赤レンガで覆った。その周辺の建物は2階建てまでの高さ制限。このビル群も赤レンガの外壁だ。
住居地区の建築様式は南ドイツ風にした。柱や筋交いを現わしにした漆喰壁。窓は木製サッシの鎧戸。普通の雨戸より頑丈で、台風の時でも安心だ。漆喰はソニアに送ってもらって「ニュー漆喰」で左官した。樹脂分が多いから、海風でも耐えられる。屋根の瓦は赤レンガ色。
上から赤い屋根、白と焦げ茶の壁、深緑の鎧戸の窓、庭の芝生の黄緑、家の基礎部分の石積みとアプローチの石畳のグレー。この島の住宅は、すべてこれで統一した。丘の上から眺めると、非常に美しい街並みだ。下手すると観光地になってしまいそう! でも、若い女性と女の子が住む島だもん、これくらいかわいくったっていいでしょ。
最初の計画では、小型飛行機が離着陸出来る空港も作ろうと思ってたんだけど、滑走路の長さがどうしても取れない。町の真ん中に滑走路を通すならできるけど、そんなの本末転倒だから、ヘリポートにした。島の北に2か所。南側に1か所。よほどの悪天候でなければ、大型ヘリがランディングできる。マイクにオスプレイを1機置いておくように頼んだ。エリクソン大統領からOKの返事が来た。
あとはプールと、真ん中がテニスコートの陸上競技場が数か月後に完成すれば、第1次都市計画は完了だった。
そうしてこの西神島は生まれ変わった。
(その②につづく)