歌舞伎の愉しみ方 | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。

歌舞伎の愉しみ方 (岩波新書)/山川 静夫

¥735
Amazon.co.jp

いよ~ぉ。

(説明)表紙裏より
歌舞伎は観客も立派な構成要素。感じるままに観ればいいのです。
ただ、今の世の中、ちょっとした手助けで、愉しみ方はずっと深くなるはずですよー。
ひとりいの観客として歌舞伎を愛して半世紀、当代の見巧者(みごうしゃ)が、
知っておけばさらに楽しめる「約束事」の数々から名優、名舞台の息づかいまで、
練達の筆で丁寧に紹介する、恰好の入門書。


日本全国民1億3千万人を、歌舞伎を見た回数順に並べますれば、
おそらく、人口の半分6500万位よりは上位にいるでありましょうわたくしですが、
(なんてったって、赤ちゃん含む人口ですからね。)
歌舞伎の入門書を読むのは初めてなのであります。
そう!
あもちゃん、なんの知識もなく歌舞伎を観てたのですよ~。←いばることか!
しかもしかもえらそーに歌舞伎評?なんぞ書いちゃってるんですよ~。
それじゃいかん、と、今更ながら入門書なんぞを繙いてみた。

うん。これくらいなら知ってた(とこもあった)!!
よかった~。

歌舞伎用語の「か・べ・す」というのがある(らしいが)、
かし、べんとう、すし、の頭語である。
昔の見物客は、「か・べ・す」を食べながら芝居を楽しみ、
子供たちも「か・べ・す」につられて歌舞伎にだんだん親しみをおぼえていったのです。
最初からがむしゃらに歌舞伎そのものだけをわかろうとするよりも、
劇場の雰囲気に馴染み、溶け込むことも歌舞伎の愉しみ方の一つ

だそうであります。
言われなくとも、すでにそうしていた私!
というか、それだけが愉しみでねえ。

菓子→新橋演舞場ならアイス最中!中村座ならどら焼き!
弁当→新橋演舞場なら別席での弁当!中村座なら浅草今半すきやき弁当!

と決めているのであります。じゅるるん。


$感傷的で、あまりに偏狭的な。

新橋演舞場:懐石弁当


$感傷的で、あまりに偏狭的な。

新橋演舞場:アイス最中


$感傷的で、あまりに偏狭的な。

中村座:浅草今半すきやき弁当


$感傷的で、あまりに偏狭的な。

中村座:どら焼き

じゅるるん。

また、歌舞伎につきものの「黒衣(くろご)」についての話。

黒ずくめの男が、ぬいだ衣裳を小さく丸めて、
それを自分の黒いからだ全体でつつむこむようにして、横走りに上手(向かって右側)に消えます。
(略)
この大胆不敵なやり方は、歌舞伎独特のもので(略)
歌舞伎では、黒は「無」をあらわすという約束になっていますから、
舞台の上を黒衣が走り回っても「見えても見えないもの」として気にしません。
ところが外国人がはじめて歌舞伎を見ると、この黒衣はいったい何物か、敵か味方か、
とたずねるのもまた無理ないことです。(67~68頁より)

あはは。
確かに。
改めて説明されると、確かに大胆不敵な手法である。
いるのにいない、見えても見えないもの、として見てちょうだい。と
あれだけ大胆に存在するものが面白い。
しかしながら私たち日本人は、
歌舞伎を初めて観た時もすでに、黒衣はいないもの、として観ることができる。
土地に根付いた文化ってすごいなあ。と思うのであった。


歌舞伎は、筋はわからなくても、絢爛豪華な舞台を見るだけでも楽しいし、
音楽を聞くのも楽しい。
役者の顔を見るだけでも楽しいし、「かべし」を味わうのも楽しい。

そうだ、歌舞伎へ行こう。