苦役列車 | 感傷的で、あまりに偏狭的な。

感傷的で、あまりに偏狭的な。

ホンヨミストあもるの現在進行形の読書の記録。時々クラシック、時々演劇。

苦役列車/西村 賢太

¥1,260
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クズのような生活。
クズのような人間。
それでも、それでも生きて行かねばならない。


(あらすじ)※帯より
友もなく、女もなく、一杯のコップ酒を心の慰めに、
その日暮らしの港湾労働で生計を立てている十九歳の貫太。
或る日彼の生活に変化が訪れたが…。
こんな生活とも云えぬような生活は、一体いつまで続くのであろうか―。
昭和の終わりの青春に渦巻く孤独と窮乏、労働と因業を渾身の筆で描き尽くす。
「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を同時収録。


第144回芥川賞受賞である。

わたくしごとで恐縮だが、以前、
西村賢太の『どうで死ぬ身の一踊り』の書評を書いた。
そしてこのたびめでたく、『苦役列車』で芥川賞を受賞したわけだが、
その途端、「西村賢太」「どうで死ぬ身の一踊り」で検索して、
我がブログへやって来る方が倍増。

あの風貌と、あの変人(変態ともいう)ぶりが、一般大衆を引きつけちゃったのだろうか?
けして大衆受けする作品じゃないのだが・・・。

ま、なにはともあれ、そういうことならば
芥川賞受賞作品の書評を書いちゃえばいいんじゃないの?
そして、アクセス数、ボトムアップでゴーゴー!
ムフフ。
と、
完全にいやらしい魂胆で、早速読んでみたのである。


いやー。
またもひっくり返るかと思いました、わたくし。
一度「どうで死ぬ身の一踊り」を読んで、卒倒寸前であったのに、
さらにこの作品で打ちのめされた。

なんというか、すごい作家がいるもんだ、と。
あもちゃん、まいった。

主人公、北町貫太。
ダメ男、とか、クズ男、とかそんな単語で表現できるレベルのくずっぷりじゃない。
この作品を読んだ読者は、まんべんなくブルーになること請け合い。

西村賢太は私小説家である。
針小棒大とはいえ、作品では常に自身のことを表現しているのである。
つまり、このクズ男北町貫太は西村賢太のことなのである。

・・・あのおっさんが、あれやこれや・・・
『どうで死ぬ身の~』を読んだ時は、西村賢太、という人の風貌を知らずに読み、
うへ~ぇ、と思うだけであった。

が。
今回は、芥川賞受賞後に読んだため、
目の前で立ちすくむ、あのきちゃないおっさんの姿を目の端に入れながらの読書。

・・・うぇっっ。

この作品は、西村氏20歳目前という、いわば青春時代を描いたものである。
(ちなみに『どうで死ぬ身の~』はその後の話。)

暗く、湿気たっぷりの、世界。
ドロドロとか美しい表現などではなく、地の底を這うような生活がリアルに描かれる。
食欲、性欲、惰性。。。
身勝手さと欲と気弱さと精神の脆弱さと小ずるさ、などなどの
主人公貫太の醜い性質が、余すところ無くしっかりと描かれている。
自分のことをよくもまあ、あんなに冷静に見つめ、醜く書けるなあ・・・

私のような作者と真逆のような人間でも、なぜか、
「こういう人っているんだろうなあ」
と、理解させてしまうところが、この作家のすごいところ。

主人公の心根のねじまがった様子や弱さやずるさが、
きっちりと一本線でつながれて描かれており、ぶれていないのだ。
だから、私は頭の中で、理解できる。

まあ、とにかくアホですわ。

主人公のひがみ根性丸出しっぷりには、
読んでるこっちがひーひー泣いちゃうくらい。
もう、かんべんしてよー。
と。

人足で日々をなんとか生きている貫太。
そんな貫太にも、日下部という、友人らしきものができた。
彼は普通の大学生。
夏休みの間だけ、お小遣い稼ぎのために人足をやっている。

何となく毎日飲むようになったが、日下部がある日、その飲みを断った。
何で俺と飲めないんだ、と詰め寄る貫太。←これだけでうっとうしい。
合コンなんだ、と答える日下部。
すると、
なんだよ、それは自慢か、俺が中卒だからって当てこすりなのか?
ひがむんじゃねえよ、低能、とでも言いたいのか?
とわめきたてる貫太。

・・・私が日下部なら、まず殴る。
うっとうっしいい!!!!!

しかし根が小心者の貫太は、このやりとりに淋しさも感じ、数日後、
日下部を風俗に誘う。←やめて~。
すると、
今まで黙ってたんだけど、彼女ができたんだ。
彼女に悪いから風俗には行かない。
と日下部は断った。

で、この日下部に対し、貫太は・・・

ここでひがんでみせるのは、こやつの自尊心を甘美にくすぐるだけの愚行だと思い、
表面上は同様も受けてはいないように、
あっそうなの?という感じでにっこり笑ってさようならをした。

が。
自室に帰って来て悶々とする貫太。

「今頃、日下部は恋人と濃密な行為に及んでいるのかと思えば、これが何んとも羨ましくってならなかった。」(79頁)
「久しぶりの邂逅と言っていたからには、それはさぞかし本能の赴くままの、慾情に突き動かされるままの、殆どケダモノじみた熱く激しい交じわりに相違なく、しかもその相手と云うのは、素人である。素人の、女子学生なのである。
 適度に使い込まれている、最も食べ頃のピチピチとした女体を、彼奴は今頃一物を棒のように硬直させた上で、存分に堪能しているのであろう。
 それに引き替え、この自分は心身ともに薄汚れた淫売の、三十過ぎの糞袋ババアに一万八千円も払って(略)・・・」

てな感じで、想像力がたくましすぎる恨み節が、延々続く。

どうでもいいけど、性描写が詳しすぎる。。。。
どんだけ、セックスセックス、なんだか。

というか、三十過ぎの糞袋ババアって!!!!
私、ババア!?
そりゃ19歳に男から見たらババアでしょうけど・・・しゅん。

それはともかく、
日下部に恋人ができたからって、全く関係ないお前がなぜ恨み節を・・・?
というごく当たり前な疑問なんて出る余地なし。

さんざん恨み言を言いまくった挙げ句、
「理不尽だ」
と独り言を言う貫太。

いやいやいやいや。
全然あんたに関係ないやんけ。

そして昔つき合ってた女を思い出し、
あんなぶさいくな女でもいいから、つきあっとけばよかったー。
性欲がーーー!みたいな話になる。

風俗であれやこれやの様子も、そんなにこと細かく書かなくてもいいってば!
ってなくらい丁寧に書いていただいております。

心、なんて一切ありません!
きっぱり!
性欲処理のための女。
生活のための仕事。
しかも根がだらしなくできているから、さぼりがち。
家賃はためまくり、挙げ句の果てにはそのまま逃げる。
金は入ったらすぐに、風俗もしくはギャンブル、酒に使い込む。
金がなくなるたびに、ためなくては、と云うだけ。
自分、自分、自分。
すべてが自分のためだけに生きている。

『どうで死ぬ身の~』は、その自分中心の生活(女との同棲)が描かれており、
DVや奔放な生活が、わりと過激に派手に描かれていた。
しかし、この作品は、性描写や風俗描写はまあ描かれていたものの、
全体的に、内にこもった、中へ中へと潜るような描写の仕方がなされている。
派手さはないが、ぎゅっときっちり締め込んだ仕上がりになっており、
これはもう、受賞しかないだろう、と納得の作品。

内容は、好き嫌い、きっちり分かれると思う。
私は、ひーひー言いながらも、意外と好き。
なんというか、やっぱりうまい。

心情描写が全く容赦なくて、しかもきちんと描けている。
笑わせるつもりがあるんだか、ないんだかしらないが、
あちこちの場面で、ハハハと乾いた笑いが内から起きてくる。

ちょっと他の作品も読んでみようか、と思う作家なのであった。
まあ、風貌と作風がアレですから、ファン、にはならない・・・

あもちゃん、近寄っちゃだめ!
遠くから、ぼんやり読むので十分!